お金とは何か?
労働の対価であり、
商品を手に入れるために必要なものであり、
たくさんあれば幸せになれると思われがちなもの。
お金には本来、「価値の交換」「価値の代替」「価値の保存」という三つの機能がある。
しかし、そのすべての土台には「信用」という欠かせない基盤が存在している。
この記事では「お金と信用」、そして現代にあふれる「見かけの信用」について考えていきたい。
目次
手軽に得られる「信用らしきもの」
「信用を得るのは難しい」とよく言われる。
けれど、物や情報があふれる現代では、信用を得る手段が必ずしも誠実さと結びついているとは限らない。
ランキングやレビューがつくる印象
ひとつの商品を思い浮かべてほしい。日用品でも、生活必需品でも、嗜好品でもかまわない。
少し検索しただけでも、通販サイトには「ランキング1位」と掲げられた商品がいくつも並んでいる。
コンテンツマーケティングの世界でも「SNSフォロワー○○人」「レビューで高評価」といった文言を見かけない日はない。
人は、商品や情報の「何か」を選ぶとき、どうしても「評判」という表面的な手がかりに引き寄せられてしまう。
これらは販売側にとって都合のいいマーケティング戦略に利用される。
そこに示された数字や評価は、必ずしも中身の価値と比例するわけではない。
プライミングという、判断を揺らす仕組み
心理学には「プライミング効果」というものがある。
最初に提示された情報が、後の判断を無意識に左右してしまうという心理だ。
つまり「ランキング1位」「高評価」といった文言が加わると、私たちはよりポジティブな印象を抱きやすくなる。
(某通販サイトのランキング1位は、そもそもの基準が曖昧だったり、比較数が少ないなどまったく当てにならない)
人はポジティブな印象を受けると、その商品に魅力を感じる。
これは「感情ヒューリスティック」と呼ばれる心理効果で、感情の印象が判断を手早く決めてしまう仕組みでもある。
その結果、企業側はポジティブな印象を与えるための「マーケティングを優先して肝心の中身は後回し」という状況になりかねない。
特に情報商材のような分野では、「買わせれば勝ち」という側面が強く、実際の内容が巷にあふれた浅い情報であることも珍しくない。
かといってマーケティングをまったく重視しなければ、戦略に長けた「見かけだけの商品」に簡単に負けてしまうという、皮肉な現実もある。
実績のある大手企業はブランド力や信頼がすでに積み上がっているため、過度なマーケティングをしなくても質で勝負できる。
新規参入の多い分野ほど、商品の質よりも「感情を動かすマーケティング」に寄りがちになる。
感情ヒューリスティックに働きかける戦略
「壊れにくさ」よりも、見た目や派手な機能を前面に押し出した商品
必要以上に大げさなレビューで「安心感」を演出する商品ページ
フォロワー数や「残りわずか」といった表示で購買意欲を煽る広告
本来のお金は「信用の代わり」
では、心理効果が次々と解き明かされ、信用さえも簡単に「つくれる」ようになった現代において
私たちは、いったい何を見失ってしまったのだろうか?
支払うことは相手を信用するという行為
私たちがお金を払うのは、その商品やサービスに「価値がある」と感じているからだ。
物や情報があふれているということは、それだけ供給が多いということでもある。
供給が多ければ、私たちは当然のように「選び放題」になる。
その結果「作り手」よりも、「便利さ」「壊れにくさ」「おいしさ」「SNS映え」といった分かりやすい基準ばかりに目が向いてしまう。
けれど本来、お金とは「信用」という土台の上で成り立っている。
私たちが作り手に「信用」を置くからこそ、「お金を払う」という行為が成立する。
人は社会的な存在であり、他者の感情や評価に影響を受けやすい。
そして供給過多の現代では、「作り手の思い」よりも、表面的なマーケティングだけが前に出てしまう状況が広がっている。
社会とは本来、「信用の相互関係」で成り立っている。そのことを、私はあらためて考えていきたい。
価値を測るものさしを、もう一度考えてみる
現代において「信用の相互関係」を意識するのは、決して簡単なことではない。
どれほど熱意を込めて作られた商品でも、上手なマーケティングを武器にした「見かけだけの品」に押しつぶされてしまうことがある。
ほとんどの業界で「マーケティングを重視」している現状を見ると、社会そのものを変えるのは難しいのかもしれない。
それでも、「個人がどう判断するか」という部分だけは、まだ自分の手の中に残されていると思うのだ。
だからこそ私は、「お金儲けが目的の商材」と「熱意を込めて作られたもの」の違いを、丁寧に見極めていきたいと考えている。
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