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内向型が、無理せず「自分らしさ」を取り戻すための自己心理メディア

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内向型ラボの研究所

いじめや不登校を経験しました。
そのなかで人付き合いに慎重な「人見知りの内向型」として成長してきました。

長いあいだ「生きづらさ」を感じてきましたが、少しずつ過去を受け入れ、いまは自分らしいペースで前を向いています。

このブログ 【内向型ラボ ― わたしらしく生きるための自己心理メディア】 は、内向型が無理をせず安心して暮らすための工夫や考え方を、私自身の体験や心理学・科学の知見とともにまとめた場所です。

同じように悩む方にとって日々の中で小さな幸せを見つけるきっかけになれば嬉しいです。

運営者の学びと資格

介護福祉士(2024年取得)
介護士として5年間現場に従事し、人の心や生活に寄り添う経験を積みました。
メンタルケア心理士®(2025年取得)
心理学の基礎から応用まで体系的に学び、心の健康に関する理解を深めました。

働く意味とは何か|仕事の価値と「自分らしい人生」を考える

黄金色の穀物畑で収穫作業をするコンバイン

「なぜ働いているのか」「なんのために働くのか」

働き方や価値観が多様化した現代では、人々の仕事に対する考え方も大きく変化している。

かつての日本では、一つの会社に長く勤め、定年まで働くことが「普通の人生」の一つとして考えられていた。

昔の日本の労働環境(イメージ)

終身雇用と安定:一つの会社に定年まで勤め上げるのが普通。

出世と給与:ポジションを上げ、給与を増やして良い生活を目指すことがモチベーション。

上下関係の重視:上司の指示に従い、仕事は背中を見て覚える。

現在では、転職は珍しいことではなくなり、出世を望まない人もいる。

無理な命令や職場での不適切な言動は、ハラスメントとして問題視されるようになった。

こうした変化が「良い変化」なのか「悪い変化」なのか、私には一概に判断できない。

クロ

一般的には「良い変化」と言われている気がするニャ。

しかし、いくつか気になることもある。

人々の仕事に対する「働く意味」そのものは、変化しているのだろうか?

もし変化しているのだとすれば、なぜ変化したのだろうか?

そもそも、「仕事」と「自分の人生」を切り分けて考えることは可能なのだろうか?

この記事では、こうした問いを手がかりに、働く意味と自分らしさについて考えていきたい。

目次

働くことから逃れられない社会

まず、働くとはなにか。その単純な問いから考えていきたい。

「働く」といっても、その意味は幅広い。

人や機械が何らかの活動をすることを指す場合もあれば、仕事や労働、勤労といった意味で使われることもある。

この記事では、「働く」を、社会の一員として何らかの役割を担うことという意味で考えてみたい。

仕事と社会|生存と役割

「仕事」や「働くこと」の意味については、さまざまな考え方があるだろう。

私は進化論的な考え方が好きなので、ここでは進化論的な視点から「働く意味」を考えてみたい。

クロ

生存戦略としての解釈ニャ。

人類の祖先は、長い進化の過程において、小規模な集団で生活していたと考えられている。

そうした集団では、狩猟や採集、子育て、見張りなど、それぞれが何らかの役割を担っていたはずだ。

現代の会社のように明確な「職業」があったかもしれないし、なかったかもしれない。

ただ、自分の行動が集団の生存に直接つながるという感覚は、現在よりも強かったのではないだろうか。

進化の過程で、人間は道具を作り、協力し、分業を進めてきた。

一人ではできないことでも、複数の人間がそれぞれの役割を担えば、集団としてより多くのことができる。

そして、人間は社会的なつながりを必要とする生き物でもある。

少なくともそのように進化しているのだから、つながりを求めるのは「生存と繁殖」に必要だったのだろう。

集団の中で自分の役割を持ち、他者から必要とされることには、人間にとって「意味」があったのではないだろうか。

数千年前は、現代のように電気やガス、頑丈な建物や医療といった社会的な基盤が整っていなかった。

そんな時代で集団から離れて生きることは、今よりはるかに難しかったはずだ。

種の繁栄のために、人類が自分の役割を求める傾向を持つようになったとしても、不思議ではないように思える。

現代における仕事は、「生活の糧」として、つまり「お金を得るためのもの」というイメージが強い。

それは間違いではない。私たちは仕事によって収入を得て、そのお金で生活している。

しかし、人間にとって、ただお金を稼ぐことだけが仕事の、働くことのすべてではないはずだ。

私たちにとって「働く」とはなにか。

現代の社会という集団の中で「自分なりの役割を得る」ことそのものとも解釈できるのではないだろうか。

働かざる者食うべからず

我々が暮らす日本には、法律というルールがある。

その法律の土台となるのが、日本国憲法だ。

中でも、働くことや社会との関わりを考えるうえで重要なのが、次の二つの条文だろう。

日本国憲法

日本国憲法第27条「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」

日本国憲法第30条「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」

日本では、国民に勤労の権利と義務が認められ、法律の定めるところにより納税の義務も課されている。

ただし、憲法はあくまで社会の基本的なルールを定めるものだ。

そのため「どのように働くべきなのか」「どのような仕事を選ぶべきなのか」まで細かく決めているわけではない。

「どこまで社会を支える責任を負っているのか」という問いに対しても、具体的な答えを示しているわけではない。

逆にいえば、「何のために働くのか」という意味づけについては、国民一人ひとりが考える余地が残されている。

人が働く「意味」が変わってきた

人類は産業革命や科学技術の発展を経て、物流を発達させ、インターネットを普及させてきた。

人やモノ、情報の移動は、かつてとは比べものにならないほど活発になっている。

経済の仕組みにおいても市場の規模は拡大し、企業や個人の活動では、需要と供給の関係がより重要になった。

その影響で、終身雇用や出世といった統一的な価値観が、より多様で流動的になったと解釈することもできる。

「昔は誰もが社会のために働いていた」と言うつもりはない。ただ「重要になった」という変化である。

かつては「社会の中で役割を担う」という側面が強かった仕事の、

「市場に対して何を提供するのか」という側面が強化された、とも考えられる。

需要があれば、モノだけでなく、情報や体験、知識など、形のないものにも価値がつく。

情報を発信するインフルエンサー。自己成長を促すセミナー。知識・ノウハウを提供するサービス。

こうした市場の仕組みを考えると、現代社会では、次のような乖離が起こる。

「社会にとって重要な仕事」と「市場で高く評価される仕事」は、必ずしも一致しない。

仕事の価値はひとつではない

私たちが日々向き合っている「仕事の価値」とは、一体どこにあるのだろうか。

少なくともそれは、市場がもたらす報酬の多さだけで決まるものではないはずだ。

社会的価値と市場価値

よく「人のためになる仕事がしたい」という言葉を耳にするが、私はいつも疑問に思う。

「人のためになる仕事よりも、人のためにならない仕事の方が少ないのではないか?」と。

おそらくは、教育や医療など、「直接的に人のためになる仕事」という意味で使っているのだろう。

しかし、社会の中で「縁の下の力持ち」となっている仕事にも目を向ける必要がある。

農業、物流、上下水道などのインフラに関わる仕事は、その代表例だろう。

クロ

エッセンシャルワーカーとも言うニャ。

こうした仕事は普段あまり意識されないが、人が生活していくうえで欠かすことのできないものだ。

しかし、農業では天候や収穫量などによって収入が左右されることがある。

物流も職種によって事情は異なるが、人手不足や長時間労働など、厳しい環境で働く人も少なくない。

市場価値は、需要と供給のバランスで決まる。代替可能性が高いと「思われがち」な職種は、報酬が上がりにくい。

つまり、社会にとって必要不可欠な仕事であっても、それがそのまま高い市場価値につながるとは限らない。

反対に、社会にとっての必要性とは別に、市場の需要をうまく捉えることで、高い収入を得られる仕事もある。

ここには、「社会的価値」と「市場価値」という、二つの異なる評価軸が存在している。

「高収入=価値」ではない

私は専門家でも詳しく学んだわけでもないので、経済学の細かな議論に足を踏み入れることはしない。

だが、高収入の仕事だからといって、必ずしも価値が高いとは私は思わない。

人類学者デヴィッド・グレーバーは、本人でさえ「意味がない」と感じるような仕事について論じている。

そのような仕事(業務)を、ブルシット・ジョブと呼んだ。

ブルシット・ジョブ:5つの類型

取り巻き(Flunkies):誰かを重要人物らしく見せるための仕事

脅し屋(Goons):競争や対立のために行われる仕事

尻拭い(Duct-tapers):組織の不具合や穴を埋めるための仕事

書類穴埋め人(Box-tickers):実際の成果とは別に、「やっている」と証明するための仕事

タスクマスター(Taskmasters):他人の仕事を管理したり、不要な仕事を生み出したりする仕事

たとえば、社長の権威や地位を演出するためだけに存在する「必要のない秘書」がいたとする。

その仕事には、社長個人にとっての価値があるかもしれない。

しかし、会社や社会全体にとって、本当に必要な仕事なのかは別の問題だ。

その仕事の収入と、その仕事が持つ価値は別のものだということだ。

高収入だから社会的に価値があるとは限らない。反対に、低収入だから価値がないとも限らない。

結局のところ、「いくら稼げるか」という市場の評価だけでは、仕事そのものの価値を測ることはできない。

仕事と自分の人生バランス

「社会にとって重要な仕事」と「市場で高く評価される仕事」は、必ずしも一致しない。

ならば、それに加えて「自分にとって意味のある仕事」という三つ目の価値は、満たせるのだろうか?

社会の歯車である意味

私たちは、社会の歯車である。

一昔前は、「社会の歯車である生き方に疑問を抱く」というフレーズをよく目にした。

ここまで考えてきたように、普通に働いている限り、誰かの役に立っていない仕事を見つけるほうが難しい。

今この瞬間に文字を打ち込んでいるキーボードも、どこかの工場で作られ、そこで働く人たちがいる。

今日の朝に食べたリンゴも、どこかの農家が育て、収穫したものだ。

当たり前のように使っている水道や下水道も、そこで働く人たちによって日々管理・運営されている。

綺麗ごとではなく事実として、社会の歯車になるということは、誰かのために働くということでもある。

その価値は給与の額だけでは測れない。

給与が多いか少ないかとは別に、自分の仕事が社会の中でどのような意味を持っているのか。

それをどう捉えるかは、私たち自身に委ねられている。

仕事は自分の一部分

しかし、それはそれとして、低賃金で過酷な労働環境に置かれている仕事が存在することも、また事実である。

市場価値が低くて十分に稼げない。しかし、誰かが社会的価値のある仕事に就かなければならない。

これは、今も議論されている現代社会のジレンマの一つなのかもしれない。

だから、社会に必要な仕事を担うことと、自分自身の価値をどう考えるかは、分けて考える必要がある。

仕事は、社会の中で自分の役割を果たすための一つの方法だ。

しかし、自分の役割を得る場所は、職場だけではない。

働き方や価値観が多様化した現在では、仕事以外の場所で人とつながり、自分なりの役割を持つこともできる。

家族を第一の場所、学校や職場を第二の場所としたとき、サードプレイス(第三の場所)という考え方がある。

趣味のコミュニティや地域活動など、仕事とは別の場所で誰かと関わり、自分なりの役割を持つこともできる。

自分なりの役割を得る方法

趣味のコミュニティに属する(習い事・読書会・スポーツサークル)

ボランティアや地域活動に参加する

そう考えると、仕事は「自分そのもの」ではなく、自分を構成する一部分にすぎない。

仕事を大切にすることと、仕事だけを自分の価値の基準にすることは違う。

ワークライフバランスが重要なのも、そのためだろう。

自分の価値と人生

仕事を自分のアイデンティティの一部として捉えるのか、それとも人生の一部分として捉えるのか。

結局のところ、判断はその人に委ねられている。

私たちは、生きていくうえで社会から完全に切り離されることはできない。

社会の中で役割を担い、働くことも、その一つの方法だ。

「なぜ働いているのか」「なんのために働くのか」

生活のためなのか、誰かの役に立つためなのか、自分の成長のためなのか。それとも、そのすべてなのか。

働くことに義務としての側面があるとしても、それ以上の意味は自分自身で決めることができる。

仕事は生活を支える手段と割り切り、仕事以外の場所に自分の意味や居場所を求めてもいい。

高収入であることを重視してもいい。

安定した収入を得ることを重視してもいい。

社会的に価値のある仕事をしたいと思ってもいい。

どの働き方が正しいのかを、他人が一つに決めることはできない。

社会的価値、市場価値、そして自分にとっての意味。

これらは、必ずしも一致するものではない。

「高収入だから価値がある」

「社会の役に立つ仕事だから価値がある」

「仕事で成功しているから自分にも価値がある」と、無理に結びつける必要はない。

仕事は自分の人生を構成する一つの要素であって、自分自身のすべてではない。

「なぜ働くのか」という問いに、誰にでも当てはまる答えはない。

働く意味は、社会から与えられるものでも、市場から決められるものでもない。

働く意味は、自分自身で見つけるしかないのだろう。

免責事項

本記事は、各種データや社会的な視点をもとに、筆者個人の見解として考察をまとめたものです。

取り上げたテーマには多角的な議論や様々な立場が存在します。

また、記事の内容は客観的な正解や絶対的な基準を保証するものではありません。

あくまで物事を考える上での一つの視点として、ご自身の価値観や判断を大切にしながらお読みください。

参考文献

【孤独の本質 つながりの力 ― 見過ごされてきた「健康課題」を解き明かす】
ヴィヴェック・H・マーシー(著)樋口武志(訳)飛鳥新社:2023年
【ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論】
デヴィッド・グレーバー(著)酒井 隆史・芳賀 達彦・森田 和樹(訳)岩波書店:2020年

衆議院『国会関係法規-日本国憲法』webページ

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