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内向型が、無理せず「自分らしさ」を取り戻すための自己心理メディア

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内向型ラボの研究所

いじめや不登校を経験しました。
そのなかで人付き合いに慎重な「人見知りの内向型」として成長してきました。

長いあいだ「生きづらさ」を感じてきましたが、少しずつ過去を受け入れ、いまは自分らしいペースで前を向いています。

このブログ 【内向型ラボ ― わたしらしく生きるための自己心理メディア】 は、内向型が無理をせず安心して暮らすための工夫や考え方を、私自身の体験や心理学・科学の知見とともにまとめた場所です。

同じように悩む方にとって日々の中で小さな幸せを見つけるきっかけになれば嬉しいです。

運営者の学びと資格

介護福祉士(2024年取得)
介護士として5年間現場に従事し、人の心や生活に寄り添う経験を積みました。
こころ検定2級(2025年取得)
心理学の基礎から応用まで体系的に学び、心の健康に関する理解を深めました。

努力ができないのは「意志」が弱いからではない

険しい岩山を軽やかに飛び越える男性のイラスト。努力を苦行ではなく、好奇心に基づいた没頭へと変えるイメージ。

「努力は裏切らない」「努力すれば報われる」

そんな言葉に、私たちは何度裏切られてきただろうか。

なにか目標を設定し、それを達成できなかったとき、私たちは自分を責めてしまう。

さらには、社会が、他者が、私たちに努力を求めてくる。

「努力できない人は怠け者だ」

「続かないのは根性がないからだ」

エジソンも「1%のひらめきと99%の努力」という言葉を残し、努力を肯定している。

しかし、現代の性格心理学では「努力にも遺伝や性格特性が関係している」ことが分かっている。

「なら、努力できないのは才能がないから?」——それも違う。

そもそも「努力」という言葉自体が、社会的評価に強く依存している側面を持つと、私は思っている。

社会的評価と努力

学業、スポーツ、魅力、地位、名誉、名声。

これらは多くの場合、外発的動機づけや苦行を耐え忍ぶ「努力」であることが多い。

一方、内発的動機づけから生まれる「本当にやりたいこと」から生まれる言葉が「没頭」だ。

努力という苦行を強いるより、好奇心に基づいた没頭を最大化する環境設定の方が、生存戦略として合理的である。

問題は「努力できるか」ではなく「どこに好奇心が向いているか」

本記事では、努力を「道徳」から切り離し、内発的な「好奇心」へとつなぎ直す方法を考える。

他人と比較するための努力を卒業し、自分の内側から湧き出る「没頭」を才能に変えるための思考法を提示したい。

目次

努力できることは才能か?

まず「努力できること」には才能が関係しているという点を、科学的観点から整理していきたい。

ビッグファイブ因子|誠実性

性格心理学には、ビッグファイブ理論と呼ばれる枠組みが存在する。1

これは心理学研究において最も広く用いられており、再現性や信頼性も高い理論のひとつとされている。

ビッグファイブとは

人の性格を、5つの主要な因子(特性)に分けて理解する心理学モデル。

このモデルでは、人の性格は「神経症傾向・外向性・協調性・誠実性・開放性」の5因子に大別される。

各因子は、さらに複数の下位因子(ファセット)によって構成される。

そして「努力」と最も深く関係しているのが、ビッグファイブにおける誠実性(勤勉性)である。

誠実性は、人の性格における計画性(能動的成分)自制心(抑制的成分)を表す特性だ。2

🔥 能動的成分:目標に向かって行動を「推進」するエンジン

因子(Facet)テーマ・性質行動として現れる傾向
自己効力感能力に対する確信挑戦を始める推進力
達成努力卓越性を求める粘り強さ努力し続ける持久力
義務感責任や規範の重視やり遂げる信頼性

🧊 抑制的成分:行動を「統制・管理」するブレーキと舵

因子(Facet)テーマ・性質行動として現れる傾向
秩序性整理・計画への志向体系的に計画する
自己規律衝動や感情の抑制継続する自制心
慎重さ行動前の熟慮リスクを考慮した決定力

誠実性を構成する下位因子には、達成努力、義務感、自己規律などが含まれる。

これらはまさに「努力する力」を構成する心理的特性だ。

ここで重要なのが、ビッグファイブ理論における各特性の遺伝率が、およそ40〜60%とされている点である。

もちろん、これは遺伝だけで決まるという意味ではなく、育ちや経験、環境要因も大きく影響する。

それでもなお、「努力できるかどうか」に才能的な側面が存在することを示すには、十分すぎる数値だろう。

努力は「意志の力」ではない

努力できるかどうかを、私たちはつい「意志の強さ」や「根性」の問題として語ってしまう。

しかし近年の神経科学研究は、その前提そのものを揺るがしている。

2012年、ヴァンダービルト大学の研究チームは「人がどれだけ努力しようとするか」が脳内のドーパミン分布と強く関係していることを示した。3

ドーパミンと努力の関係

報酬のために「進んで努力する人」と「努力を避ける人」とで、ドーパミンの働く脳部位が異なる。

前者では、報酬や動機づけに関わる線条体や腹内側前頭前野でドーパミン放出が活発だった。

一方、後者では不安やリスク知覚に関係する前部島皮質で、ドーパミン活性が高い傾向が見られた。

重要なのは、ドーパミンが「多い/少ない」という単純な話ではない点だ。

同じドーパミンでも、どの脳領域で作用するかによって「やる気」は正反対の結果を生む。

つまり、努力できないからといって、それは意志が弱いわけでも怠けているわけでもない。

努力とは、精神論ではなく、脳の報酬設計とリスク感受性のバランスによって左右される性質なのだ。

クロ

努力をやる気や根性論で語る時代は終わったニャ。

この視点に立てば「努力できない自分」を責める問いは、まったく別の形に変わってくる。

問うべきなのは、意志の強さではない。

自分の脳は、何に対して報酬を感じる構造を持っているのかを知ることだ。

努力は良いことなのか?

社会は、なぜ私たちに努力を求めるのだろうか。

そもそも努力することは、私たちにどんなメリットをもたらしているのだろうか。

努力できる性質を社会が求めている

ビッグファイブ理論において「誠実性」は社会的成功と非常に強い相関を示す性格特性として知られている。

研究では「誠実性の高さは、健康、収入、対人関係を強く予測する」とまで言われている。

つまり現代社会では、「誠実性が高い人」ほど高く評価されやすい。

その結果、多くの人が、親が、会社が、私たちに誠実性を高めるよう要求してくる。

ここで「社会で成功するための本」として長く読まれているベストセラーをいくつか見てみよう。

『7つの習慣』:主体性・自己管理・長期的視点。

『エッセンシャル思考』:集中・取捨選択・意思決定の最適化。

『やり抜く力(GRIT)』:粘り強さ・忍耐・長期努力。

努力が「才能(脳の特性)」に近いものであることは、暫定的とはいえ、すでに科学的知見として示されつつある。

それでもこれらの本が売れ続けている理由は『才能としての努力(ハードウェア)』を持たない人々が、

『習慣というソフトウェア』によってそれを補おうとするための処方箋として機能していると解釈できる。

クロ

ソフトウェアとしてはいずれも有用で、おすすめできる本ニャ。

しかし、ここで一度立ち止まる必要がある。

これらが提示しているのは、社会が要請する理想像──「成功=価値」という他者の価値観を内面化した姿でもある。

あなたは「社会的成功」に本当に価値を感じているだろうか。それは、自分自身が望んだ目標だろうか。

努力には道徳も善も悪もない

努力も、誠実性という性格特性も、本来は「良い/悪い」といった道徳的価値を帯びるものではない。

進化論の立場から見れば、あらゆる性格特性は遺伝的多様性の表出であり、そこに善悪という価値判断は存在しない。

努力できる人、誠実性が高い人が社会で重宝されるのは、そうした特性が「この時代」に適合しているからにすぎない。

ソクラテスやプラトンに代表されるギリシャ時代、なぜ西洋哲学は芽吹いたのか。

当時は奴隷制度が成立しており「働かないこと」や「実利を追わないこと」が、価値を持っていた。

つまり、彼らには時間があったからだ。彼らは「生きるための努力」を必要としなかった。

もちろん「努力の才能がないから」と自己否定し、学業や倫理そのものを放棄するのは避けるべきだ。

しかし同時に、社会や他者から与えられた価値観だけを無批判に信じることを強要される必要もない。

クロ

努力は、客観的な価値に過ぎないニャ。

極端な例を挙げれば、強盗犯が入念に計画を練ることも、一種の「努力」なのだ。

10,000時間の法則について

ある分野で一流のエキスパートになるには、約1万時間の練習や研鑽が必要である。

誰もが一度は、どこかで耳にしたことのある言葉だろう。

この法則は「才能より努力が重要だ」という主張の根拠として、長く支持されてきた。

しかし、近年の心理学研究では、この法則があまりにも単純化されていることが明らかになっている。4

もともと1万時間という数字は、心理学者アンダース・エリクソンらによる「熟達研究」から広まったものだ。

確かに、意図的な練習(deliberate practice)が技能向上に重要であることは、多くの研究が支持している。

だがその後のメタ分析や追試によって、練習量が説明できるのは、能力差の一部にすぎないことが分かってきた。

10,000時間の法則の崩壊

チェスや音楽、スポーツといった分野では、同じレベルに到達するまでの練習時間が人によって異なる。

チェスの名人に到達するまでの練習時間は、数百時間から1万6千時間以上まで幅があった。

練習量における能力差はゲームで約26%、音楽で約21%、スポーツで約18%にとどまると報告されている。

つまり「名人や天才と言われる人も長期間の努力を要している」という理解は、科学的には支持されていない。

努力は確かに重要だが、それだけですべてが決まるわけではないのだ。

能力差には、開始年齢、身体的・認知的特性、そして遺伝的要因など、複数の要素が重なって影響している。

これを知らないと「報われないのは努力が足りないからだ」という自己責任論に変わることがある。

努力を重ねても結果が出ないとき、私たちはやり方ではなく、自分の価値そのものを疑ってしまう。

だが科学が示しているのは、努力の否定でも、努力の量でもない。

どの分野に、どのような資質を持って臨んでいるかが重要だという事実だ。

努力に大事なのは「目的」

私は「努力は無意味だ」と、ニヒリズムを語りたいわけではない。

問題は、社会から強要される努力や、苦痛を前提とした努力ではなく、自分が夢中になれる努力のあり方だ。

言い換えれば「夢中」、あるいは「没頭」である。

1%の「純粋な好奇心」

もちろん、ある程度の「苦痛を伴う努力」は生きていくうえで必要でもある。

今のうちに勉強しておかないと、将来後悔するよ

成功するには、やり抜く力が大事だよ

勉強すれば、いい大学、いい会社に入れるよ

これらは社会から与えられる「他人の価値観」だが、社会のルールの中で上を目指すための有効な指標でもある。

私たちが社会で生きていく以上、ある程度の「社会の知恵」や「共通ルール」は避けて通れない。

しかし、人生を楽しく生きたいのであれば、他者の価値観だけでは不十分だ。

流される人生ではなく、自分の心の内側にある「純粋な好奇心」を自覚することが重要になる。

その好奇心に身を委ねたとき、努力は苦痛ではなく、好奇心から生まれる「夢中」や「没頭」へと姿を変える。

例えば私なら、ブログ執筆や物語を読んでいる瞬間、気持ちよく走ることが目的の早朝ランニングなど。

その体験や経験に「没頭」できるか

一見すると、価値があるようには思えないことに、夢中になれる人がいる。

そういった人に対して、「その努力を別の方向に活かせばいいのに」と助言する人もいる。

しかし、それは違う。

その興味の方向性と、その人自身の性質が合っていたからこそ、夢中になれているのだ。

方向性が変わってしまえば、没頭できていた対象そのものから外れてしまう。

勉強が嫌いな人や、運動が苦手な人に、はっぱをかけて努力を強いても、誰もが努力できるようになるわけではない。

脳の仕組みから見ても「目的が自分の性質と合っているか」が重要であり、根性論だけではどうにもならない。

重要なのは、その行為に夢中になれるか、没頭できるかを、判断基準にできるかどうかである。

例えば、勉強が嫌いな子供に勉強そのものの価値を説いても、努力の必要性を感じることは少ない。

ただ、この努力の方向性と自分の性質を合わせる手段は存在する。

ゲームが好きな子供であれば「ゲーム感覚で楽しく学べる」という目的を与える形で「再定義」すればいい。

クロ

つまり「動機づけ」の問題ニャ。

外発的動機づけと内発的動機づけ

努力は、目的の再定義(意味づけ)を行うことで、ある程度はコントロールできる。

しかし、それには明確な限界もある。

社会で生きる上で求められる努力や目的が、必ずしも自分の性質に合う形へ再定義できるとは限らない。

なぜならそれらの多くは、本質的には「外から与えられた目的」だからだ。

心理学では、外から与えられた目的である「外発的動機づけ」よりも「内発的動機づけ」が重視されている。5

内発的動機づけ

「好きだから」「面白いから」「やってみたいから」──といった、行動そのものが楽しいと感じられる状態。

外側からの報酬や評価(外発的動機)ではなく、自分の内側から自然に生まれる意欲を指す。

エンゲージメント(熱意・没頭・主体的な関与)を高める重要な要因のひとつ。

外から与えられた目的でも、自分なりの意味づけを行うことで内発的動機づけに近づくことは可能だとされている。

しかし、他者の価値観をいくら内面化しても「本当にやりたいこと」が立ち上がってくるとは限らない。

であれば「社会の中で最善とされる目的」を探し続けることは有用なのだろうか。

それよりも「心の底から生まれる最善」を見つめ直す方が、よほど健全なのではないだろうか。

まとめ|没頭は好奇心から生まれる

社会では「努力することは美徳である」と語られることが多い。

本来、努力というものを他者から強要される謂れはなく、そこに善悪の価値判断も存在しないはずだ。

努力しやすい性質も、努力が苦手な性質も、現代的に言えば神経多様性の一側面に過ぎない。

だったら性質に合わない努力を強いるよりも、それぞれに合った「意味づけ」を手助けする方が健全だろう。

しかし、現代社会や他者に問いかけても返ってくるのは、適応が前提の「社会の当たり前」だけである。

だからこそ私たちは、自分自身の力で「内側の声」に耳を澄まさなければならない。

そこにあるのは「他者との比較」に捕らわれない、夢中と没頭を生む純粋な好奇心だけである。

クロ

努力を「選ぶ」権利は、誰もが持っているはずニャ。

✅ この記事のまとめ

  • 「努力できるかどうか」は意志や根性ではなく、性格特性や脳の仕組みに強く左右される。
  • 努力そのものに善悪はなく、社会的評価によって価値づけられているにすぎない。
  • 重要なのは、外から与えられた努力ではなく、内発的動機づけから生まれる「没頭」である。
  • 自分の性質と好奇心に合った対象を見つけることが、才能を活かす最短ルートになる。

免責事項

私は心理学や医療の専門家ではなく、診断や助言を行う立場にはありません。

本記事は研究や書籍、筆者の経験をもとにした参考情報です。

内容を鵜呑みにせず、あくまで自己理解を深めるためのヒントとしてご活用ください。

専門的な判断や緊急時の対応については、ページ下部の相談窓口もあわせてご確認ください。

参考文献

  1. 【Big Fiveパーソナリティ・ハンドブック 5つの因子から「性格」を読み解く】
    谷伊織・阿部晋吾・小塩真司(編著)福村出版:2024年 ↩︎
  2. ビッグファイブ理論に関する因子解説は『IPIP』を参照
    IPIP(International Personality Item Pool)-NEO ↩︎
  3. Vanderbilt University / Journal of Neuroscience, 2012 ↩︎
  4. David Z. Hambrick, et al. “Practice Does Not Make Perfect,” Slate, 2014. ↩︎
  5. 【新・動機づけ研究の最前線】
    上淵寿・大芦治(編著)/西村多久磨・篠ヶ谷圭太・稲垣勉・梅﨑高行・利根川明子・鈴木雅之(著) 北大路書房:2019年 ↩︎
険しい岩山を軽やかに飛び越える男性のイラスト。努力を苦行ではなく、好奇心に基づいた没頭へと変えるイメージ。

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