「異世界転生もの」は、なろう小説に代表される一大ジャンルである。
不運に見舞われた現代人が、剣と魔法の世界へと転生し、前世の記憶を保持したまま第2の人生を謳歌する。
しかし、転生先にはすでに「両親の性質を受け継いだ赤ん坊」という存在がいる。
赤ん坊が生まれる。赤ん坊は転生先の両親の遺伝的性質を受け継いでいる。
そこへ前世の記憶が付与される。生まれた瞬間から保持しているか、成長の過程で思い出す。
性格は「遺伝的要因と環境」によって形成され、人格は成長の過程で確立される。
では、前世の記憶と願いを持つ「今世の自分」は、いったい何者なのだろうか?
この記事では「異世界に転生した『自分』は何者なのか?」というアイデンティティの所在について考えてみたい。
もちろん、これは空想上の設定にすぎない。
だが、物語の裏側に潜む「理屈」を思考実験として追ってみることには、独特の面白さがある。
目次
転生者は何者か?
この記事では「スワンプマン」「自己の本質」「アイデンティティ」という3つの視点から検討する。
スワンプマン/異世界転生者
哲学では「スワンプマン(沼男)」という思考実験が存在する。
スワンプマンの思考実験
ある男が沼のほとりで落雷に打たれて消滅する。
同時に別の雷が沼に落ち、化学反応によって「消滅した男と全く同じ分子構造の存在」が誕生する。
この「スワンプマン」は、男の記憶、外見、性格、癖をすべて完璧に再現している。
このスワンプマンは、元の男と同一人物と言えるのか?
続きを読む前に、あなた自身の答えを出してみてほしい。
おそらく、直感的には「同一人物ではない」と感じる人も多いのではないだろうか。
実はこの思考実験は、あなたの選択次第で異世界転生をホラーへと変貌させる。
続けて転生者の思考実験をしてみよう。
転生者の思考実験
ある男が事故によって命を落とす。
しかし主観的には「自分が死んだ」と思った次の瞬間、ある赤ん坊として「男の自我」が目覚めていた。
その赤ん坊は、男の過去の思い出、家族への感情、価値観や癖までも完全に保持している。
この転生者は、元の男と同一人物と言えるのか?
さて、あなたはどう考えるだろうか。この問いはスワンプマンの問いとほとんど違いはない。
したがって、論理的に考えるならばスワンプマンと同じ答えに行き着く。
今一度問いたい。異世界に転生した主人公は、前世の主人公と同一人物だろうか?
遺伝子は誰のものか —— 進化生物学
進化生物学者リチャード・ドーキンスは著書『利己的な遺伝子』で、遺伝子中心主義の立場を提示した。
すべての生物は、遺伝子を運ぶ乗り物にすぎない。
この視点に立てば、身体的特徴だけでなく、性格傾向の一部もまた遺伝的設計図の影響下にあることになる。
異世界転生ものにおける身体的特徴は、転生先の親の遺伝子を受け継いでいることがほとんどである。
遺伝子の設計レベルから完全に異なるため、生物学的には前世の人物とは別の存在である。
したがって、遺伝子レベルで「同一人物」とする根拠は見出しにくい。
経験は誰のものか —— 哲学
イギリスの哲学者デレク・パーフィットは「人格の同一性」そのものを疑っている。
私たちが重要視しているのは「同一人物であること」なのか?
記憶や性格、信念がどれだけ連続しているかという「心理的連続性」ではないか?
たとえば、ある人の記憶や性格が完全に別の身体(ロボットなど)へと移植されたとしよう。
厳密な意味で同一人物とは言えなくても「連続した私」が保たれている限り、
私たちはそれを「その人の続き(心理的連続性)」と見なすのではないか。
パーフィットにとって重要なのは、数的同一性ではなく、連続性と因果的つながりである。
もし転生者が前世の記憶・価値観・欲望を保持しているなら、心理的連続性は成立している。
その場合「生物的には別人」であると同時に「前世の人物の延長」でもあるという奇妙な結論に至る。
つまり、転生問題は「同一か否か」という二択ではなく「自身の連続性の強度の問題」へと変わる。
記憶は誰のものか —— 神経科学
心理的連続性を支えるものは何か。それは「記憶」である。
しかし神経科学の観点から見ると、記憶は魂の保存庫ではない。
特に海馬はエピソード記憶の形成に重要な役割を担うことが知られている。
たとえば、扁桃体が恐怖の感情を呼び起こすとき、脳は海馬から「恐怖の原因」を参照している。
記憶とは、シナプス結合の強化や再編成によって物理的に刻み込まれるとされている。
つまり記憶とは、物質的変化の痕跡である。
もし身体も脳も一新されるなら、記憶を保持する物理的基盤はどこに存在するのか。
神経的連続性が断たれているなら、科学的枠組みでは記憶の継承は説明困難である。
記憶が物質的過程に依存しているなら、転生における「前世の記憶」はどのレベルで保存されているのか。
遺伝子は継承されていない。神経的連続性が断絶しているなら、心理的連続性も成立しない。
転生時に赤ん坊の脳の配線を書き換えたのなら、転生者は赤ん坊の人格を上書きしていることになる。
倫理面は措くとして、脳の配線を前世の自分と同一の構造に再構成したとしても、それはコピーにすぎない。
もしコピーされた存在に「心理的連続性」を認めることは、スワンプマンを肯定することと変わらない。
すなわち「同一性」とは因果的連続(歴史)ではなく、構造的同型性(データ)にすぎないという立場である。
しかし、データにすぎない「転生者の実存」を証明する客観的証拠はどこにあるのだろうか?
遺伝、経験、記憶、構造的同型性の矛盾を解決する方法は、スピリチュアルな『魂』に縋るしかない。
転生者と「死者の記憶」という呪い
発達心理学者エリク・エリクソンによれば、自我同一性は青年期に形成されるという。
そしてその形成に失敗すると「自我同一性の拡散」——自分が何者か分からない状態——に陥るとされる。
そして、青年期は概ね13歳から22歳頃に相当する。
この時期を今世で過ごすなら、心理的影響としては前世の記憶よりも今世の経験のほうが強くなる可能性が高い。
13年前の自分が「何をして、何を考えていたのか」をはっきりと思い出せる人がいるだろうか?
次第に前世の記憶が薄くなってくる。なら、思慮深い転生者であればこう疑うかもしれない。
「前世は本当に存在したのだろうか?」「前世が『思い込み』である可能性はあるだろうか?」
前世の確信を誰かが保証してくれたとしても、ここから始まるのは終わりのない自己懐疑である。
自分の両親は誰なのか(前世か、今世か)
自分の「やりたいこと」は、どちらの思考の延長なのか(前世か、今世か)
この身体は、誰のものか?(人格の融合による変容と自己喪失)
精神が転生前の大人であっても、新たな人生である以上「自分を考える青年期もどき」はある可能性がある。
そんなときに、もし両親に「幼い頃に頭を強くぶつけたことがある」とでも言われたら…
まとめ|物語は理屈では楽しめない
この記事は、不可能を前提に論理を積み重ねる「思考と空想の砂場遊び」である。
異世界転生はスワンプマンの肯定である。
転生は「自己が定義できなくなる」ため「自己の不安定化」に向かう。
身もふたもない結論かもしれない。しかし「思考の運動」としては十分に意味がある。
なお、これはジャンル批評ではない。私は「なろう系」や「異世界転生もの」を純粋に娯楽として楽しめる。
物語は必ずしも理屈に従う必要はない。むしろ理屈を超えるからこそ物語は魅力を持つ。
コメント