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内向型が、無理せず「自分らしさ」を取り戻すための自己心理メディア

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内向型ラボの研究所

いじめや不登校を経験しました。
そのなかで人付き合いに慎重な「人見知りの内向型」として成長してきました。

長いあいだ「生きづらさ」を感じてきましたが、少しずつ過去を受け入れ、いまは自分らしいペースで前を向いています。

このブログ 【内向型ラボ ― わたしらしく生きるための自己心理メディア】 は、内向型が無理をせず安心して暮らすための工夫や考え方を、私自身の体験や心理学・科学の知見とともにまとめた場所です。

同じように悩む方にとって日々の中で小さな幸せを見つけるきっかけになれば嬉しいです。

運営者の学びと資格

介護福祉士(2024年取得)
介護士として5年間現場に従事し、人の心や生活に寄り添う経験を積みました。
メンタルケア心理士®(2025年取得)
心理学の基礎から応用まで体系的に学び、心の健康に関する理解を深めました。

読書に効率は必要か?|速読の幻想と「理解する」ということ

静かに広がる本のページ。速さではなく思索を象徴する読書の風景

「本を速く読みたい」

それは本当に、あなた自身の願いだろうか。

巷には「速読トレーニング」と呼ばれる本を速く読めるようになる方法、すなわち読書術があふれている。

文字を「塊」で読む

脳内音読をやめる

イメージで捉える右脳型読書術

しかし、こうした方法の多くは認知心理学や神経科学の研究において、効果が実証されているとは言いがたい。

視覚の構造上、文字を広い範囲で一度に正確に認識することには限界がある。

言語理解は、音韻処理と深く結びついている。

「右脳派・左脳派」という単純な区分には、明確な科学的根拠がない。

さらに、読解の速度や得意・不得意には、認知処理や語彙量といった個人差が影響することも指摘されている。

もちろん「今より速く読めるようになる方法」がまったく存在しないわけではない。

だがそれは、語彙を増やし、読書量を重ねるという地道な積み重ねにほかならない。

それなら、社会に溢れている「速読術」の正体とは、いったい何なのだろうか?

目次

なぜ私たちは速読を求めてしまうのか?

まずは、「速読への憧れ」を心理的に解体していきたい。

その「速読への憧れ」は本当に自分のものか

まずは「速読がしたい」と思う理由を立ち止まって考えてみよう。

速読を求める理由

本を速く、多く読みたい

インプットの量を増やしたい

勉強の効率を上げたい

理由はさまざまだろう。しかし、その奥に共通して潜んでいる感情がある。

それは、速く読みたいという「焦り」ではないだろうか。

速読と焦り

本を速く読まなくては

情報を頭に詰め込まなくては

早く覚えなくては

こうした内なる声は、いつの間にか「読書」を義務に変えてしまう。

しかし「本を読む」という行為は本来、一人で向き合う営みである。読書は速さを競う競技ではない。

では、この焦りはどこから生まれてくるのだろうか。

SNSの「年間○○冊」というアピール

インターネットやSNSの普及により、私たちは膨大な情報へ容易にアクセスできるようになった。

しかし、情報過多の時代においては、「他者」という情報までもが絶えず流れ込んでくる。

SNSで読書について発信する人の中には、「年間○○冊」と読書量を示す人が少なくない。

「1時間で1冊読める」「短時間で学習できる」といった発信も見かける。

なぜ、このようなアピールが広がるのか。

それは、冊数や時間といった数字が、努力や能力をわかりやすく示す指標になるからだ。

たとえば「年間300冊読む」という一文だけで「相当な読書家」という印象を与えることができる。

だが同時に、それは「周囲に遅れを取りたくない」「もっと効率よく知識を得たい」という焦りを生み出す。

その焦りの正体は、他者との比較にある。

積読への恐怖と義務感

他者との比較以外にも、速読への憧れを生み出す要因がある。

それが「積読」だ。

積読とは

手元にある本を読まないまま、冊数だけが増えていく状態。

積読が生まれる理由はさまざまだ。

「読みたいが時間がない」という場合もあれば「読む速度が追いつかない」という場合もある。

前者は時間配分の問題に近い。しかし後者は、ときに「速く読めるようになりたい」という思いへと変わる。

「もっと本を読みたいのに思うように読めない」――そのもどかしさである。

だが、それは純粋に読書を楽しんでいる状態だといえるだろうか。

速読の系譜と資本主義

最後に、「速読」という発想がいつ、どのように広がったのかを見ておきたい。

結論から言えば、現代的な意味での「速読」は20世紀に生まれた比較的新しい概念である。

リーディング・ダイナミクス

1959年、教育者エブリン・ウッドが、指でページをなぞりながら読む手法を体系化した。1

書物そのものは古代から存在してきた。

にもかかわらず「速さ」を前面に押し出した読書法が広く語られるようになったのは、きわめて近年のことである。

では、なぜ速読はここまで広がったのか。

一つの理由は、読書術が商品として成立するからだ。

「本を速く読みたい」という需要がある限り、それに応える方法論は次々と生まれる。

そしてその背景には、他者より多く、より早く成果を出すことが価値とされる社会の空気がある。

速読術は、そうした競争原理のなかで洗練され、拡張されてきたと考えることができる。

速読は科学と整合しない

ここからは、速読術が科学的根拠に乏しい可能性について検討していく。

脳の認知処理速度の個人差

2016年に、過去数十年間にわたる読書研究を網羅的に整理・総括した報告が発表されている。2

その報告では、次のような点が指摘されている。

読む速度を上げると、理解度や記憶保持は低下する傾向がある

複雑な内容を理解する際に、頭の中で言語を音声的に処理する過程がほぼ不可欠である

視野周辺の語を一度に把握できるとする速読理論は、脳や視覚の構造と整合しない

つまり、速読講座が主張する「高速で読んでも理解や記憶が落ちない方法論」は、科学的に説明できないのだ。

認知機能の問題であれば反論の余地はある。脳には「可塑性」があり、機能を向上させることができるからだ。

しかし、視野という物理的制約に関わる以上、その前提自体を覆すことは難しい。

速度と理解はトレードオフ

前述の報告で示されていた「読書スピードと理解度がトレードオフの関係にある」という点は重要である。

たしかに「結論だけを知りたい」という目的であれば、この関係はさほど問題にならないかもしれない。

しかし、本来の読書において重要なのは、結論そのものよりも、そこに至る「過程」である。

特に哲学や倫理学では、結論よりも過程の方が重視される。

たとえば『方法序説』におけるルネ・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という命題も、

その結論そのもの以上に、そこへ到達するまでの思索の過程にこそ意義がある。

そして、その過程を自ら辿り、他者の思索を「解釈」してはじめて「理解した」と言えるのである。

哲学は極端であるものの、自己啓発書やビジネス書においても本質は同様である。

結論だけを抽出する読書法から得られるのは、理解を伴わない表面的な模倣にとどまりやすい。

理解とは、最終的に「自分の頭で考える」ことを通してのみ成立するものである。

「速読トレーニング」の不都合な真実

では、科学的に速読術が十分に支持されていないにもかかわらず、なぜ速読は語られ続けているのだろうか。

理由は単純である。

読書術は商品として成立する。

「速く読みたい」という需要は消えない。ゆえに、市場がある限り供給もまた生まれる。

そして「速読は万能ではない」という情報は、供給側にとって都合がよいとは言えない。

その結果として、高額な受講料の「付加価値感」や「〇〇式」といった独自の名称による権威付けで覆い隠す。

「脳の活性化」「潜在能力」といった科学的な印象を与える言葉も、消費者に期待を抱かせる装置として機能する。

速読における「視線を大きく動かす」訓練は、前頭前野の活動と関連づけられることがある。

これは内容理解が十分でなくても「大量の文字を処理した」という「満足感」を与える可能性がある。

では、速読ビジネスが提供しているのは、厳密な意味での「読解技術の向上」なのだろうか?

むしろそれは「多く読めている」という感覚を提供しているにすぎないのではないか?

自分らしい「リーディング」を楽しむ

ここからは、具体的に「読書」を楽しむ方法について述べたい。

著者自身、読むのが遅い

私は、小説や自己啓発書、哲学書を読む際も、比較的スピードが遅い「遅読家」である。

最近読んだ、鈴木光司のホラー小説『リング』(336頁)には約6時間を要した。

しかし、読書において重要なのは「速さ」ではなく、理解すること、あるいは小説であれば味わい楽しむことである。

つまり、読書を「速い/遅い」という二元論で測ろうとすること自体が適切ではない。

大切なのは、自分の脳が文章をどのような構造で理解するのが得意なのかを知ることだ。

たとえば私は、文章をそのまま処理するのではなく、視覚的イメージに変換して理解していることが多い。

私の読書法

小説:読んでいる場面をリアルタイムで「三人称視点のイメージ」に変換する。

自己啓発書・ビジネス書:壇上で語る著者の姿を思い描き、「講義のイメージ」として理解する。

哲学書・人文書:部屋の椅子でくつろぎながら語る著者の「独白のイメージ」として受け取る。

そのため、イメージが結べない箇所では読書が止まりやすい。像として理解できなければ、先へ進めないからである。

これは私自身の性質から見いだした独自の読書法であり、万人に当てはまる方法ではない。

視覚的イメージで理解するのが得意な人もいれば、言葉や聴覚的処理で整理するのが得意な人もいる。

私は「視覚7割:抽象3割」ほどの感覚で文章を理解している(と自己分析している)

だからこそ、自分は文章をどのように理解するのが得意なのかを考えることが重要なのである。

ちなみにこの性質のためか、数学や形而上学的概念、言語の文法理解にはいまだ苦戦している。

それでも速読がしたい人は

それでも、「読みたい本が多すぎて追いつかず、積読が増えていく」という人もいるだろう。

前述で紹介した記事で示されているのは「速く読めるようになるための確実な方法」である。(脚注2を参照)

語彙力を高め、読書量を増やすこと

結局のところ、本を速く読めるようになるには、本を読み続けるしかない。

速読の本を読む(学ぶ)よりも、いま読みたい本を一冊でも多く読むほうが近道である。

私のような「視覚優位」の読書スタイルであっても、語彙が増えれば想起できるイメージも豊かになる。

結果として、理解の速度も自然と高まっていく。(もっとも、私自身はいまだに遅読家だが)

まとめ|読書に効率は必要か?

速読という方法論の是非はさておき「仕事のために急いで学ばなければならない」という状況もあるだろう。

そのような場合には、まず動画サイトやブログなどで要点を把握するという現実的な選択肢もある。

そして時間に余裕ができたときに、あらためて本をじっくり読み、体系的に学び直せばよい。

資格取得においても、速さだけを重視して表面的に学べば、たとえ合格できたとしても理解は浅くなりやすい。

結局のところ、読書に過度な効率を求めれば「理解の質」は損なわれやすい。

読書は、自分のペースで積み重ねるほうが、長い目で見れば確かな力になる。

参考文献

  1. Wikipedia『Evelyn Wood』より引用 ↩︎
  2. Big Think『Neuroscience shows that speed reading is bullshit』より引用 ↩︎

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