幸福とは、内面的な価値にある。孤独は自由・思索・内面の富の条件になる。
現代では、人とのつながりや前向きな姿勢こそが、人生を豊かにすると考えられることが多い。
実際、心理学やウェルビーイング理論においても、良好な人間関係は重要な要素とされている。
ただし、その「つながりの濃度」や「距離感」は、誰にとっても同じである必要があるのだろうか?
すべての人に社交性を求め、常につながることを前提とした生き方は、かえって苦痛になる場合もある。
つながりは重要だが「多ければ多いほど良い」とは限らない。
そこで立ち返りたいのが、19世紀ドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアーの思想である。
彼は、世界や人生を決して楽観的には捉えなかった悲観主義者(ペシミスト)だ。
しかし、人間の苦悩と錯覚を直視したうえで「どう生きれば苦しまずに済むか」を問い続けた哲学者でもある。
この記事では、ショーペンハウアーの思想を通して「孤独や静寂は本当に不幸なのか」を改めて考えていく。
本記事は、アルトゥル・ショーペンハウアーの哲学を厳密に解説することを目的としていません。
主に余禄と補遺『幸福について』を参考に、彼の人生観や哲学を現代的文脈で解釈しています。1
哲学そのものを理解したい方は、主著『意志と表象としての世界』や解説書をご参照ください。
目次
ショーペンハウアーとは誰か?
まずは簡単に、ショーペンハウアーが何者であったのかを見ていこう。
数々の著名人に影響を与えた哲学者
アルトゥル・ショーペンハウアー(1788–1860)は、19世紀ドイツを代表する哲学者の1人だ。
その思想は、哲学の枠を超え、多くの文学者や思想家に強い影響を与えてきた。
ロシアの大文豪『レフ・トルストイ』は、彼の思想に深く傾倒したことで知られている。
不条理小説を得意とする作家『フランツ・カフカ』は彼を「言葉の芸術家」と評したとされている。
ショーペンハウアーは主著『意志と表象としての世界』において、世界の根底には理性では制御できない「意志(Will)」があると論じている。
人は自分の意思で行動しているように思える。
しかし実際には、欲望や衝動といった無意識的な力に強く突き動かされている。
この「無意識」に焦点を当てた視点は、後の心理学にも大きな影響を与えたとされている。
「幸福」は「苦痛の不在」にすぎない
ショーペンハウアーは、この世界を決して楽観的には見ていない。
思想の本質
人間は欲望を抱え、その欲望が満たされない限り苦しみ、満たされたとしても、やがて退屈に苛まれる。
この循環から逃れることはできず、人生は本質的に「苦痛」と「退屈」に支配されている。
そのうえでショーペンハウアーは、大衆向けの著作の中で、繰り返しアリストテレスの言葉を引用している。
アリストテレスは、幸福を「善い生き方(エウダイモニア)」に見いだした、古代ギリシャの哲学者だ。
賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める。
アリストテレス『ニコマコス倫理学』
アリストテレスの思想は、現代の幸福論や心理学にも受け継がれている。 2
ショーペンハウアーにとって幸福とは、積極的に「何かを得る」状態ではない。
苦痛や欠乏が一時的に取り除かれている、その消極的な状態こそが「幸福」と呼ばれるにすぎない。
人間の欲望、苦しみ、そして幸福の条件を、これほど冷静かつ現実的に見つめた思想家は、決して多くない。
人の運命を分ける「3つの基本条件」
「幸福とは消極的なものである」と語るショーペンハウアーは、人の運命の差異を3つの基本条件に整理している。
ただし、これらは「3つ揃うと良い」わけではなく、あくまでも「人々の違い」を分ける要素に過ぎない。
①自分は何者であるか
1つ目は「その人は何者であるか」という点だ。これがショーペンハウアーが語る、最も大事な条件である。
なぜなら、自分以外のすべては、ここからしか影響を及ぼせないからだ。
自分は何者であるか。すなわち、自分自身の「人品・人柄・個性・人間性」という本質。
それに伴う「健康・力・美・気質・徳性・知性」を指している。
ショーペンハウアーは、これこそが幸福を左右する最も本質的な要素だと考えた。
これらを磨き、内面的な価値を高めていくことこそが、現実的な生存戦略につながると説いている。
②自分は何を持っているか
2つ目は「その人が何を持っているか」という条件だ。
これは、物質的に何を所有しているか、どれほどの財産を持っているかを意味する。
ショーペンハウアーはこれを「外的な財宝」と呼び、幸福の本質を決定づける要因ではないと位置づけている。
お金や所有物は生活を支える手段にはなるが、それ自体が人を幸福にするわけではない、という冷静な視点だ。
③他者にどう見られているか
3つ目は「その人が他者からどのように見られているか」という点である。
これは、世間からどのような人物だと評価されているか、どんなイメージを持たれているかを表す。
ショーペンハウアーはこの外的評価を「市民・騎士的名誉」と「地位」そして「名声」に分類している。
名誉・地位・名声は、いずれも「他人の意識の中」にしか存在しない価値だ。
名誉:他者から「正当な人間」と認められているという社会的信用
地位:社会の中で与えられた役割や序列に基づく、相対的な評価
名声:実像を離れ、他者の頭の中で独り歩きする評判やイメージ
後述するが、彼は「騎士的名誉」、すなわち他者の目に映る自己像への誇りを、不要なものとして切り離す。
幸福の二大敵手「苦痛」と「退屈」
人の幸福を最も大きく損なう要因として、ショーペンハウアーは2つの敵を挙げている。
それが「苦痛」と「退屈」だ。人間の生はこの2つの間を振り子のように揺れ動いている。
刺激を求めるか?静寂を愛するか?
SNSへの傾倒、きらびやかな高級品、快楽を追い続ける消費行動。
現代ではこうした、退屈を感じる暇すら与えない、過剰な娯楽が供給され続けている。
しかし彼は、苦痛と退屈は、いずれも「快楽を求め続けた結果として生まれる副産物」だと考えた。
なぜなら、快楽は手に入れた瞬間から効力を失い、人はすぐに次の快楽を欲するからだ。
欲望が満たされない間は「苦痛」に支配され、満たされた後には「退屈」が待っている。
内面が空虚であれば、退屈が生まれ、退屈は再び苦痛を呼び起こす。
その苦痛から逃れるために、また新たな刺激や外的報酬を求めてしまう。
こうして人は、苦痛と退屈が交互に現れる終わりなき循環に巻き込まれていく。
知的生活という最強の防御策
ショーペンハウアーは、人が消費や娯楽へと向かってしまう背景には「内面の空虚さ」があると説いている。
内面が空虚なために、あらゆる種類の社交や娯楽、遊興や奢侈への病的欲求が生じ、そのために多くの人が浪費に走り、落ちぶれて貧窮する。
こうした誤った道に踏み込まない手立てとして、内面の富、精神の富ほど信頼できるものはない。
アルトゥル・ショーペンハウアー『幸福について』
つまり、外面的な刺激を増やすことではなく、内面そのものを豊かにすること。
自分自身の思考や知性を育てる「知的生活」こそが、苦痛と退屈の循環から身を守る、もっとも確かな防御策になる。
なぜなら、たとえ外的な娯楽がすべて失われても、自分自身の「思考・思索」という営みは失われないからだ。
自分自身の「豊かさ」の在処
外的な欲求によって苦痛や退屈を紛らわせる快楽・悦楽といった「贅沢」は、内面の豊かさと比例しない。
なぜなら、それらはあくまで外側から与えられる刺激であり、自分自身の内面を深めるものではないからだ。
たとえ親しい社交の場であっても同じだ。そこでは無意識のうちに「同調」や「節度」が求められる。
人は他者の前に立つとき、完全に自分自身でいることはできない。
では、真の意味での「内面の豊かさ」はどこから生まれるのか。
ショーペンハウアーが示した答えは明確だ。それは思索であり、それは孤独の中でこそ生まれる。
だれもが完全に「自分自身である」ことが許されるのは、独りでいるときだけだ。
自由でいられるのは独りでいられるときだけなのだから、およそ孤独を愛さない人は、自由をも愛さない人なのだろう。
アルトゥル・ショーペンハウアー『幸福について』
他人の評価をどう扱うべきか
ここでは、ショーペンハウアーが挙げた「3つの外的評価」、すなわち名誉・地位・名声について整理していこう。
評価の価値は「他人の中」にしかない
人の運命を分ける三つの差異のうち「他者にどう見られているか」は、本質的な価値にはなり得ない。
なぜなら、人が生き延び、生活を成り立たせるうえで重要なのは、評価そのものではない。
本質的な価値になりえるのは、健康や気質、生活手段、家族や友人といった、より実利的な要素だ。
名誉や地位、名声といったものは、自分自身の内面を豊かにするものではない。
それらはすべて、自分ではコントロールできない「他者の心の中」にのみ存在する価値である。
騎士的名誉と市民的名誉
「他者の評価」は、原則として自分でコントロールできるものではない。
しかし、それをコントロールできると錯覚する心性を、ショーペンハウアーは「騎士的名誉」と呼んだ。
誰かの悪口によって、「自分はバカにされた」と怒りを感じたことはないだろうか。
それは騎士的名誉であり、「名誉が自分の内側にある」と錯覚している状態にすぎない。
この言葉は、些細な言葉や行為を「名誉の侵害」と受け取り、
「貴様は私の名誉を侮辱した。よって決闘で裁く」といった、騎士道的価値観を揶揄した表現でもある。
他人の意識のなかで何が起きようが、それ自体は私たちにとってどうでもよいことだ。
アルトゥル・ショーペンハウアー『幸福について』
一方で彼は、これとは別に「社会から誠実な人間として認められる名誉」を「市民的名誉」と区別している。
言うまでもなく、市民的名誉は平穏に生きるための前提条件であり、例外的に高い価値を持つ。
「誠実に生きているなら嘲笑する人は気にするな」ってことニャ。
名声は「副産物」にすぎない
あなたは他者や社会からの賞賛、すなわち「名声」が欲しいだろうか。
ここまでショーペンハウアーの思想を理解していれば、答えはすでに見えているかもしれない。
名声とは、「欲しいから手に入るもの」ではない。ましてや、積極的に追い求めるべき対象でもない。
彼は名声について、ローマの哲学者セネカの言葉を引用している。
影が肉体につき従うように、名声は功労につき従うものである。
アルトゥル・ショーペンハウアー『幸福について』
つまり、名声は追い求めて得るものではなく、自らの行為の結果として後から付いてくるものである。
仮に名声を得たとしても、本質的な価値は「名声そのもの」にはない。
社会から評価されるまでに磨き上げた「そこに至った本人の性質」にあると説いている。
詐欺や虚栄心、欲望から生まれた「偽物の名声と誇り」にどれほどの価値があるだろうか?
この思想をどう日常に活かすべきか?
ここまでショーペンハウアーの思想を簡潔に見てきた。
しかし問題は、それが私たちの日常において、どのような意味を持つのかという点である。
ヤマアラシのジレンマ
ショーペンハウアーは、人と人との距離感を説明する比喩として「ヤマアラシの比喩」を提示した。
ヤマアラシのジレンマ
寒さをしのぐために近づこうとするヤマアラシたちは、互いの針によって傷つけ合ってしまう。
かといって距離を取れば、今度は寒さに耐えられない。
この寓話が示しているのは、人間関係おいて「近づきすぎても離れすぎても苦痛が生じる」という事実である。
人付き合いとは、相手の針と自分の針、その「いい塩梅の距離」を探し続ける営みに他ならない。
そして、相手と自分の「針」をどのように認識しているかは、人よって異なることを理解しなければならない。
意志(Will)は制御できない
ショーペンハウアー哲学の中核にある概念が、意志(Will)である。
この概念は単なる「生物が持つ心理」を超えた「世界の根柢にある不条理な生の衝動」を指している。
もちろん人間も例外ではなく、表面的な感情や理性、道徳とは無関係に、無意識の領域で作動している。
この意志に支配されている限り、人は満たされることのない欲望に突き動かされ続ける。
この無意識的な意志を消し去ることは難しい。だから彼は「世界は本質的に残酷である」と結論づけた。
この前提に立てば、多くの幸福論が空虚に見えるのも無理はない。
終わりのない欲望から人は自由になれないのなら、どこを目指せばいいのかすら分からないからだ。
ゆえに彼は、幸福を「快楽の獲得」ではなく「苦しみが最小化された状態」として定義した。
そして、ショーペンハウアーの示した答えは「意志の否定(Verneinung des Willens)」である。3
これは芸術鑑賞や利他、禁欲と諦念へと至る概念で「仏教的な悟り」に似た非常に重い意味を持つ。
なので、ここでは実践哲学としての読み替えをしたい。
すなわち、意志そのものは制御できなくとも「どこに向かっているか」を理解することはできる。
エネルギーの向かう方向を理解し、それに距離を取るための「客観的な視点」として用いる。
非社交性と孤独を武器にする
社交的になれず、人に合わせることができず、明るく振る舞えない。
そうした性質を、ショーペンハウアーは否定しなかった。
彼は「きわめて非社交的な人」にも、独自の価値があると述べている。
この言葉を額面どおりに受け取れば、「自分は特別だ」という自己陶酔に陥る危険もある。
しかし慎重に読み直せば、彼が言いたいのは「非社交性それ自体」ではなく、そこに宿る別種の価値である。
他者との同調を最優先しないこと。孤独の中で思索し、自分自身と向き合えること。
内向型の価値を考えるヒントとして、ショーペンハウアーの思想は参考にしやすい。
彼の思想は「社交ができない自分」を矯正するのではなく、その性質を前提にどう生きるかを考える視点が得られる。
まとめ|今の時代だからこそ
なぜ今、ショーペンハウアーの思想なのか。
それは彼の思想が、内向型という生き方に、明確な価値と輪郭を与えてくれるからだ。
私自身、これまで多くの思想や哲学に触れてきたが、もっとも強い影響を受けた哲学者はショーペンハウアーである。
彼の思想は極めて鋭利で、ときに読む者の精神を容赦なく削る。本来のショーペンハウアーはかなり過激だ。
例えば、著書『女について』は思想的背景を差し引いても時代錯誤や差別が激しく、おすすめできない。
それでもなお、人間の欲望・苦しみ・幸福をこれほど冷静に、そして誠実に見つめた思想は稀だ。
成功、承認が過剰に称揚される現代だからこそ、「孤独」「思索」に価値を置くこの思想は、静かな支えになる。
ショーペンハウアーは、人生を明るくしてはくれない。
だが、人生を、少し距離を置いて見つめる視点を与えてくれる哲学者である。
✨ショーペンハウアーの思想を日常で活用する
- 本質的な価値は「自分の内側」にしかない
- 孤独や静寂は「欠如」ではなく、思索と自由のための条件である
- 他者の評価は「誠実な人間として認められる」ことに価値がある
- 私たちはヤマアラシのように「他者を傷つける針」を持っていることを自覚する
- 欲望を消すことは難しいが、欲望の方向性は理解することができる
免責事項
私は心理学や医療の専門家ではなく、診断や助言を行う立場にはありません。
本記事は研究や書籍、筆者の経験をもとにした参考情報です。
内容を鵜呑みにせず、あくまで自己理解を深めるためのヒントとしてご活用ください。
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参考文献
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