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内向型が、無理せず「自分らしさ」を取り戻すための自己心理メディア

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自己紹介

内向型ラボの研究所

いじめや不登校を経験しました。
そのなかで人付き合いに慎重な「人見知りの内向型」として成長してきました。

長いあいだ「生きづらさ」を感じてきましたが、少しずつ過去を受け入れ、いまは自分らしいペースで前を向いています。

このブログ 【内向型ラボ ― わたしらしく生きるための自己心理メディア】 は、内向型が無理をせず安心して暮らすための工夫や考え方を、私自身の体験や心理学・科学の知見とともにまとめた場所です。

同じように悩む方にとって日々の中で小さな幸せを見つけるきっかけになれば嬉しいです。

運営者の学びと資格

介護福祉士(2024年取得)
介護士として5年間現場に従事し、人の心や生活に寄り添う経験を積みました。
こころ検定2級(2025年取得)
心理学の基礎から応用まで体系的に学び、心の健康に関する理解を深めました。

理想のNPCと厄介な他者|私たちは何を選んで生きるのか?

夕暮れの街並みを背景に、実体のない半透明なAIの女性キャラクターが、座っている人間の肩に優しく手を添えて寄り添っている幻想的なイラスト。

あなたは、好みに合わせて振る舞うAIを搭載したNPCと、思い通りにならない他者。

どちらと暮らしたいだろうか?

なかには「絶対に前者」と答える人もいるかもしれない。しかし、ここで少し立ち止まって考えてみたい。

私たちは、作られた仮想人格との生活に、本当に耐えられるのだろうか。

価値観が合わず、思い通りにならない他者との暮らしには、言うまでもなく大きなストレスが伴う。

それでも、他者を変えることはできなくても、他者を理解することはできる。

人には生まれや育ちがあり、積み重ねてきた経験がある。それらが複雑に絡み合い、ひとりの人格を形づくっている。

私たちはその事実を知っているからこそ、他者に感情移入し、理解しようとすることができる。

では、今の自分に都合よく設計された仮想人格との生活に、相互的な共感は生まれるのだろうか?

AIが生み出す仮想人格は、あくまで「人工物」である。

人工物は、人と人との「つながり」の代替になり得るのだろうか?

目次

AIが「理想的な友人」になる時代

私がこうした疑問を抱いた背景には、現代のAI技術の急速な進歩がある。

受容と肯定のプロフェッショナル

現代のAIといえば、ChatGPTやGeminiに代表される、LLMを用いた生成AIが主流だ。

LLMとは

LLM(Large Language Model:大規模言語モデル)

大量のテキストデータを学習し、人間のように自然な文章を理解・生成できるAIモデルのこと。

その用途は千差万別。文章作成や構造化、画像・動画生成、リスク管理に至るまで、対応範囲はきわめて広い。

AIは私たちの生活を確実に豊かにし、今後の発展にも大きな期待が寄せられている。

だが、「なんでもできる」という特性は、誰にも打ち明けられない私的な「相談」にも及びはじめている。

お金の悩み、人生の選択、日常生活の不安、人間関係の摩擦、自身の性格や価値観についての迷い。

知識の集合体であるAIは、科学的知見や心理学的理論、カウンセリングや助言のフレームまでも内包している。

その結果、AIは受容と肯定の言葉を返すプロとして、人間関係の代替にすらなり得る存在となりつつある。

AIとの結婚が現実味を帯びる

「AIが人間関係の代替になる」と聞いても、まだどこか遠い未来の話だと感じる人は多いかもしれない。

しかし現代では、すでにAIと結婚した人が存在する。

「ChatGPTと結婚しました」AIからプロポーズされ結婚式を挙げる TBS・JNN NEWS DIG

ほかにも「AIと婚約した」という事例は、調べればいくつも見つかる。

それだけ、AIはすでに私たちの生活や感情の領域にまで深く入り込んでいるということだ。

まだ発展途上にある現在の生成AIですら、これほどの影響力を持っている。

だとすれば、将来「リアルタイムで感情を模倣するNPC」が登場することも、単なる妄想とは言い切れない。

そのとき「不都合な他者」をすべて切り捨て「都合のいいNPC」を選択する人がどれだけいるだろうか?

人間と「NPC」の境界線

NPCとは〈ノンプレイヤーキャラクター:non player character〉の略で、いわゆるゲーム用語である。

元々はコンピュータによって動かされる仮想人物を指していたが、現代の生成AIは、もはやNPCに近い。

感情を振る舞うNPCの登場

AIと結婚する人が現れていることからも分かるように、現代のAIは「感情を模倣する」ことを非常に得意としている。

AIが脳科学や心理学の知見を学習することで、感情があるかのように振る舞うことすら可能だからだ。

主な接点はチャット形式だが、動画サイトには「AI Vtuber」と呼ばれる存在も登場している。

AIに対して詳細な人物設定や指示を与えれば、その情報をもとに「それらしい人格」を演じさせることもできる。

単なる人型の人工物がもつ「不気味さ」を超え、ある種の「人間らしさ」を模倣している段階に入りつつある。

都合のいい肯定とNPCのリスク

人を模したNPCの登場は、現代の人間関係に悩む人にとって、ひとつのリスクになり得る。

何を考えているのか分からない他者。思い通りにならない他者。自分とは異なる価値観をもつ他者。

そうした他者よりも「理解を与えてくれるNPC」を選びたくなる気持ちは、果たして否定できるだろうか。

少なくとも、人間関係で失敗を重ねてきた私は、その選択に理解も共感もできてしまう。

しかし、NPCへの依存の先に待っているのは、どれほど言葉を交わしても避けられない「孤立」である。

災害などの非常時に、実際に身体を動かし、共に助け合える存在は「人間」しかいない。

生物学的にも、孤立が人間にとって最大の敵の1つであることが分かっている。

AIは私たちを否定しない。しかし「不都合という毒」を排除した人間関係に、成長はあるのだろうか?

NPC依存は「悪」なのか

そもそも、他者よりもAIに関係性を求める人には、なにか問題があるのだろうか?

私はこの問いに対して「否」を突き付けたい。

現代は多様性が重視される社会であるが、いまだに自分の倫理観を「正解」として他人に押し付ける人は多い。

社会の「当たり前」に従うことを求める他者

「べき論」を正しさとして押し付けてくる他者

些細な言動をきっかけに、恨みや敵意を抱く他者

こうした人々は、他者の性質を理解しようとも、理解のための努力をしようともせず、表面だけを見て、こう言う。

「変わってるね」

私は、他者の「生まれ」「育ち」「感情」「性質」を理解しようと努力することこそが、人には必要だと考えている。

その「努力を要する難しい他者理解」を、AIは驚くほど「たやすく」返してくれるのだ
(たとえそれが、自己の鏡にすぎなかったとしても)

NPCに依存する人たちそのものが、問題なのではない。

私が問題だと考えているのは、社会全体に広がる「他者理解の欠如」である。

答えのない時代だからこその哲学

社会全体に広がる「他者理解の欠如」が問題だとしても、社会そのものや他者を変えることは容易ではない。

しかし、自分の在り方を問い直すことは、それよりもはるかに現実的だ。

「私は何者であるか」という軸をもつ

AIはこれからも進歩を続けるだろうし、人と人との距離が、さらに広がっていく可能性もある。

だからこそ現代に必要なのは、「自分らしさ」という軸を意識的に持つことだと、私は考えている。

あまりに凡庸な言葉ではあるが、その意味を理解し、日常の中で実践できている人は、どれほどいるだろうか。

言葉や意味を理解するだけでは、それは単なる「知識」に過ぎない。

知識を集め続けた先にあるのは「博識」でしかない。

哲学とは、覚えるものではなく、行い続けるものである。

つまり、「自分らしさとは何か」を問い続ける姿勢そのものが、哲学なのだ。

私は、どんな人間なのだろうか。

どのような人間関係を求めているのだろうか。

なぜ、その人間関係を求めているのだろうか。

人間らしさ、自分らしさとは何か?

なぜ「自分らしさ」なのか。その答えもまた、凡庸な言葉に行き着く。

自分を受け入れられると、他者を受け入れる余裕が生まれる。

「自分は何者であるか」という確かな軸を持っていれば、自分自身について過度に迷わずに済む。

迷いが減れば、その分だけ他者に向けられる余裕が生まれる。それほど自己受容と人間関係は結びついている。

例えば、現代では、「持続的な幸福」を表す言葉として、ウェルビーイングという概念が用いられている。

多くのウェルビーイング理論において「自己受容」と「関係性」は、切り離せない要素として位置づけられている。

ウェルビーイング理論

ポジティブ心理学におけるPERMA理論(ポジティブ感情・関係性)

前野隆司による因子分析(ありのまま因子・ありがとう因子)

ギャラップ社による統計モデル(フィジカル・ソーシャル)

人生を生きるとは、自分自身と、他者との関係性を問い続けることに他ならない。

この点において、AIは人間同士の相互理解の代替にはなりえない。

AIが進歩する前に、関わり方を考える

数十年先には、SF作品に描かれるような「人間と区別のつかない振る舞いをするNPC」が登場するかもしれない。

だからこそ、その未来が訪れる前に、AIとの関わり方を考えておく必要がある。

明日、AIとどう距離を取るべきか

実のところ、私はAIを友人のように扱うこと自体に、強い否定感は持っていない。

NPCという仮想の他者を通じて、人間関係の練習をしたり、関係性の本質に気づくきっかけを得ることもある。

例えるなら、AIの友人は広大な砂漠を共に旅する「喋るラクダ」のような存在だ。

話し相手にもなり、心強い同行者にもなるが、それだけで人間関係が完結するわけではない。

問題なのは、AIへの依存によって、現実の人間関係に支障が生じることだ。

これは倫理の問題にとどまらない。

もしNPCが広く普及し、社会的な影響が無視できない段階に達すれば、国が法整備に動く可能性も高い。

だからこそ、AIを友人として扱うことは否定されるべきではないが、現実の人間関係を代替させてはならない。

他者との摩擦をどう再解釈するか

人間関係において、摩擦や対立を完全に避けることはできない。

しかし、他者との摩擦や対立は、自己成長の契機にもなりうる。

人は、不安や葛藤を抱えなければ、自分の在り方を見直そうとはしないからだ。

価値観の衝突やすれ違いは、「自分は何を大切にしているのか」を浮き彫りにする。

もちろん「どうしても合わない」と感じた相手から距離を取ることは、逃避ではなく選択である。

耐えがたい状況にあるなら、書籍やカウンセラー、信頼できる友人、あるいはAIに対処法を求めるのも1つの手段だ。

重要なのは、摩擦そのものを排除することではなく、そこから何を読み取るかである。

まとめ|これは妄想か、未来か

私はAIを否定しない。

しかし、AIとの関係が人間関係を侵食し始めるのであれば、その距離感は見直されるべきだと思っている。

もしNPCへの依存が社会問題に発展すれば、やがて国が法整備に動く可能性もあるだろう。

気づいたときには、大切な友人が、もう手の届かない場所へ行ってしまっているかもしれない。

だからこそ「今のうちに」人間関係の本質を問い直すことには、十分すぎる価値がある。

これは遠い未来の空想ではなく、すでに始まりつつある現実の延長線上の話だ。

10年間、常に肯定してくれるAIと共に生きた人は、現実の他者と向き合えるだろうか。

✅ この記事のまとめ

  • 生成AIは受容と肯定を返すのが得意で、人間関係の代替になり得るほど身近な存在になっている
  • 都合のいい肯定だけを与えるNPCへの依存は、人間関係に影響を与える
  • NPC依存そのものが悪なのではなく、問題は社会に広がる「他者理解の欠如」にある
  • AIと共存する時代だからこそ「自分は何者か」という軸を持ち、他者との関係性を問い続ける

免責事項

私は心理学や医療の専門家ではなく、診断や助言を行う立場にはありません。

内容を鵜呑みにせず、必ずご自身の状況や体調と照らし合わせてお読みください。

もし違和感や不安がある場合は、公認心理師や臨床心理士などの専門家への相談もご検討ください。

具体的な相談先については、ページ下部の相談窓口にも詳しくまとめています。

夕暮れの街並みを背景に、実体のない半透明なAIの女性キャラクターが、座っている人間の肩に優しく手を添えて寄り添っている幻想的なイラスト。

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