私はどう働くべきか。
資格を持っている。進みたい道も、目標もある。にもかかわらず、なぜか現実だけがついてこない。
ガチガチの上下関係
残業や休日出勤が当たり前
仕事は楽しいはずなのに、それ以上に疲労が抜けない
「こんなはずではなかったのに」
社会は決して単純ではなく、理想と現実のあいだで揺れ動きながら、人は少しずつ大人になっていく。
子どもの頃に思い描いていた「大人」という存在は、どうやらそれほどわかりやすいものではなかったらしい。
その結果として、気づけば「諦める」という選択ばかりが上手くなっていく。
それでいいはずがない。人生は、本来もう少し自由で、楽しめるものであっていいのではないだろうか。
社会の中で生きていく以上、労働というものから完全に切り離されることは難しい。
せめて「自分にとっての良い働き方」くらいは、自分の意志で選び取っていきたい。
この記事では、労働と人生、ワークライフバランスをどのように定義し、どう向き合うくべきなのかを考えたい。
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目次
良い働き方は「一般論」では定義できない
まず考えたいのは、客観的に見た「良い働き方」や「良い職場」とは何なのか、という点である。
世間が語る「良い職場」のテンプレ
一般に語られる「良い職場」とは、いわゆるホワイト企業の条件で語られることが多い。
しかしここでは、その定義そのものではなく、「人はなぜ転職するのか」という視点から考えてみたい。
転職の背景には「その人にとって良い環境ではなかった」という事実があると考えられる。
キャリアアップのような前向きな理由を除く。
転職サービスのdodaを運営するパーソルキャリア株式会社が発表した「転職理由ランキング」によれば――
転職理由の第1位は5年連続で「給与が低い・昇給が見込めない」30代においても36.9%と高い割合
20代では「労働時間に不満(残業が多い/休日出勤がある)」が44.6%で1位
30代において「尊敬できる人がいない(23.0%)」という理由が前年度9位から2位に上昇
40代でも「社内の雰囲気が悪い(32.1%)」といった項目が前回から10ポイント以上増加
最新の動向として「個人の成果で評価されない」という理由が前年度の18位から3位へと大幅に上昇
転職サービス「doda」 - 「転職理由ランキング【2025年版】」
これらをまとめると、給与額の問題だけでなく「働きに対する正当な還元」への不満が大きな要因になっている。
そして、転職理由の多くは、依然としてお金に関する問題である。
やりがいが語られることはあっても、「生活を支える」という前提からは切り離せない。
また、20代では「労働時間への不満」が最も多いため、年代によって労働に対する考え方が異なることも見えてくる。
このデータを逆に捉えると、転職の対象になりにくい職場も見えてくる。
良い職場
給与・昇給・時間・評価といった要素が、個人の納得感に基づいてバランスよく成立している職場
ただし、これはあくまでもアンケートによる傾向にすぎず、万人にとっての「正解」ではない。
それは本当に「あなたの基準」なのか
良い職場とは、給与・昇給・時間・評価といった要素と強く結びついて語られることが多い。
しかし一方で、「顧客のためになる仕事がしたい」「チームで仕事がしたい」といった動機を重視する人もいる。
人によって職場に求めるものが異なる以上、統計的な傾向だけで「良い働き方」を定義することには限界がある。
ただし、多くの人がまず「お金」に対する不安や課題を抱えている、という点は見えてくる。
「お金のために働く」——これは決して否定されるべきものではないと私は思う。
その人にとっての「良い働き方」の基準が、お金という現実条件を前提に組み立てられているにすぎない。
お金を優先する人にとっては、仕事と私生活のバランスそのものが、人生の質に直結していく。
あなたは労働に何を求めているだろうか。お金か、やりがいか、それとも安心感なのか。
「大企業や特定の職種に入っておけば安心だ」という声に、私たちは少し耳を傾けすぎてはいないだろうか。
良し悪しは「性質×環境」で決まる
やりたいこと、得意なこと、好きなことが噛み合った職業——「天職」
では、その一致は何によって生まれるのか。
結局のところ、「自分の性質」と「職種」、そして「働く環境」の組み合わせによって決まるのではないだろうか。
働き方は客観ではなく主観と構造で捉える
「自分の性質」「職種」「環境」
これらはある程度、自分で把握し、選択していくことができる領域である。
しかし、それだけで望んだ職業に就けるとは限らない。能力や経験が追いつかないという現実があるからだ。
一方で、市場価値や賃金、他者からの評価といった客観性に依存すると「自分の性質」という視点が抜け落ちる。
人気の仕事、親に勧められた進路、誰もが憧れる働き方。
それだけでは自分にとっての「良い働き方」にはならない。
だから「働き方の選択」には、性質の自己認識と市場構造を把握する必要がある。
自分の性質を理解し、職種に求められる価値を知り、そのうえで環境との折り合いをつけていく。
突き詰めれば、良い働き方とは「性質と環境」とのあいだで、妥協点を見つけていくプロセスなのではないだろうか。
「どう働きたいか」より「どう働けるか」
しかし、現実的な問題として、市場価値という視点を無視することはできない。
教師という仕事を考えてみても、公立学校の教員不足はよく語られる一方で、大学となると状況は大きく異なる。
経済学や社会学、哲学といった分野では、研究者や講師のポスト(採用枠)が不足している。
結果、安定した職に就けず、将来の見通しが立たない「ポスドク問題」として長年議論されている。
「経済を学び、それを若者に教えたい」と夢を抱いても、その道だけで安定して生きていくことは簡単ではない。
だからといって「夢を諦めろ」と言いたいわけではない。むしろ「良い働き方」を選択するなら、逆だ。
重要なのは、その夢と現実をどう折り合わせていくかである。
たしかに、ポスドク問題は社会全体として見れば深刻な課題であり、雇用の不安定さが問題視されている。
しかし一方で、任期付きの職を渡り歩きながらでも、自分の研究や教育を続けたいと考える人もいる。
客観的な成功や安定だけを基準にするのではなく、自分が何を重視し、どこまでなら受け入れられるのか。
その妥協点を見つけることも、一つの働き方なのではないだろうか。
私の働き方の現在地
ここからは、私自身の働き方に対する価値観について話していきたい。
ただし、あくまでも「私個人の現在地であり、完全でもなければ普遍性もない」点には留意してほしい。
好きと負担が同時に存在する仕事
私は現在、介護職に就いているが、正直に言えば環境とのミスマッチを感じている。
介護士として利用者と関わること自体は楽しい。
しかし、それ以外の人間関係や時間的拘束には、やや強い負担を感じてしまう。
特に私は人見知りで、人一倍人間関係が苦手だという自覚がある。
そのため、多人数の場よりも少人数、言ってしまえば利用者と一対一のほうが落ち着いて動きやすい。
その一方で、仕事の性質上、多職種連携やサービス担当者会議といった場面を避けることはできない。
もちろん業務としては問題なくこなしている(と思う)が、終わったあとには強いストレスや消耗感が残る。
まさに、自分の性質と働く環境とのミスマッチである。
私にとっての現実的な選択はどこか
私が仕事に求めているのは、労働時間の短さと、人間関係の限定である。
もともとお金をあまり使わない生活をしているため、現時点では金銭面にそこまで強い不安はない。
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趣味は読書、ノベルゲーム、筋トレ、ジョギング、散歩など
また、物欲そのものも強くなく、何かを所有することよりも、考えたり思索したりする時間に価値を感じている。
そうした前提から、ここ数年で私が現実的な働き方の一つとして考えているのが、ホテルの清掃業である。
5〜6時間程度の労働時間であること
体力仕事への適性があること(体を動かすことが楽しい)
部屋を綺麗に整えることが好きであること
一人でもくもくと進められる作業であること
キャリアや成功に興味がないこと
人生100年時代と言われ、自己投資や自己成長の重要性が語られることも多い。
しかし、少なくとも今の私は、社会の中で大きな成功を目指したいとは考えていない。
ただ、将来的に体力が落ちてきたときに「その働き方を維持できるのか」という強い懸念は残っている。
完全なリタイアという選択肢も考えたが、現状と比べてあまりにも自由すぎることが懸念対象になる。
私は「不自由の中にこそ自由がある」と考えているため、あえて一定の労働や制約を持ちながら生きていたい。
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また、人間が社会的な存在であることを踏まえると、社会とのつながりは維持していたいとも感じている。
もちろん、現時点では「甘い見通し」と言わざるを得ず、将来のための思索を続けている。
問題は体力資本が低下したときに「良い働き方」をどう再構築するか。
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あなたは外向的な人間だろうか。それとも、内向的な人間だろうか。
この問いであれば、多くの人が「おそらくこちらだ」と感覚的に答えられるかもしれない。
では、「まずまずの人生」と「やりきった人生」なら、あなたはどちらを選びたいだろうか。
社会の中で生きていく以上「働き方」で悩むことは避けられない。
私は、どちらかと言えば「まずまずの人生」のほうに安心感を覚える内向的な人間。
その感覚を基準にして、自分にとっての「良い働き方」を選びたいと考えている。
社会の基準だけで働き方を決めるのではなく、自分の性質、夢と現実、そして社会との折り合いを探していく。
それもまた、「良い働き方」の一つの形なのではないだろうか。
免責事項
本記事は、働き方や人生観について、筆者の経験や価値観、社会構造への関心をもとにした内容です。
「これが正しい働き方である」と断定する意図はありません。
性格、環境、経済状況、人生の優先順位によって、心地よい働き方は大きく異なります。
あくまでも、自分にとっての「良い働き方」を考えるきっかけとして読んでいただければ幸いです。
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