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内向型が、無理せず「自分らしさ」を取り戻すための自己心理メディア

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内向型ラボの研究所

いじめや不登校を経験しました。
そのなかで人付き合いに慎重な「人見知りの内向型」として成長してきました。

長いあいだ「生きづらさ」を感じてきましたが、少しずつ過去を受け入れ、いまは自分らしいペースで前を向いています。

このブログ 【内向型ラボ ― わたしらしく生きるための自己心理メディア】 は、内向型が無理をせず安心して暮らすための工夫や考え方を、私自身の体験や心理学・科学の知見とともにまとめた場所です。

同じように悩む方にとって日々の中で小さな幸せを見つけるきっかけになれば嬉しいです。

運営者の学びと資格

介護福祉士(2024年取得)
介護士として5年間現場に従事し、人の心や生活に寄り添う経験を積みました。
メンタルケア心理士®(2025年取得)
心理学の基礎から応用まで体系的に学び、心の健康に関する理解を深めました。

積読は悪いことなのか|心理学と「本棚は日記」という考え方

淡い色彩で描かれた積み重なった本のイラスト

積読は良いものだろうか。それとも悪いものだろうか。

買ったものの、まだ読んでいない本が本棚に並んでいる状態は、一般的に「積読」と呼ばれる。

積読に対する考え方は人それぞれだろう。

「いつか読む」と思って安心する人もいれば、「読まなければ」という罪悪感を抱く人もいる。

読むか分からないのに、つい本を買ってしまう

未読本がたくさん並んでいると、不思議と安心する

何年も積んだままで、読む気がなくなった本がある

私自身は、積読をなるべく増やさないようにしている。心理的なストッパーをあえてはめている。

この記事では、私自身の読書との付き合い方、経験則から「積読にはどんな意味があるのか」を考えてみたい。

目次

積読は良いことか、悪いことか

積読のメリットやデメリットについては、さまざまな意見がある。

しかし、それらがそのまま自分に当てはまるとは限らない。

同じ積読でも、人によって本を買う理由も、読めない理由も異なるからだ。

知的好奇心と未来の自分への期待

本を読みたいと思ったとき、あなたはどんな気持ちでその一冊を手に取るだろうか。

悲しい恋愛小説:作者はどんな恋愛観を描くのだろう。自分はどんな恋愛を求めているのだろう。

自己啓発本:自分を変えたい。仕事や人生に役立てたい。

科学啓蒙書:世界の見方を広げたい。知的好奇心を満たしたい。

多くの場合、その背景には知的好奇心や、「何かを得たい」という期待がある。

どんでん返しのミステリーなら、自分の予想を超える結末を期待してページをめくるだろう。

魔法や幻想が広がるファンタジーなら、現実を少し離れて物語の世界に浸りたいと思うかもしれない。

つまり、本を「読みたい」と思う気持ちにも旬がある。

積読とは、その旬を少し先送りにする行為とも言えるだろう。

分厚い啓蒙書よりも薄い小説

読みたい本が増え、積読が増えていくほど、「読みたい」と思った気持ちの旬を逃しやすくなる。

分かりやすいのは、とある本に対するモチベーションの維持だろうか。本にも読む難易度がある。

ページ数、文章の密度、内容の抽象度などによって、読み始める心理的なハードルは変わる。

例えば、同じ小説でも現代小説と古典文学、あるいは分厚い翻訳長編では、読みやすさに大きな差がある。

認知心理学では、人はできるだけ少ない認知資源で判断しようとする「認知的倹約家」として知られている。

読書でも、集中力を多く必要とする本より、気軽に読み進められる本へ手が伸びやすいのは自然な傾向だろう。

漫画しか読まないという人でも、文字がぎっしり詰まった作品を読み続ければ疲れる。

これは漫画だからではなく、読むために必要な認知的負荷が比較的に高くなるからだ。

そしてなによりも、難しい本を読むのは時間がかかる。その時間の分だけ他の本が読めなくなる。

読みやすい本から先に読み、難しい本ほど本棚に残り続けるという現象は、決して珍しいことではない。

「読めない積読本」に意味はあるか

「読みたい」と思った旬を逃し、読みやすい本ばかり選んだ結果、難しい本だけが本棚に残る。

そう考えると、積読はあまり良い状態ではないようにも思える。

価値観が変わり、その本をもう読みたいと思わなくなったのであれば、その積読は役目を終えたのかもしれない。

しかし、まだその本を開いていない以上、その本が今の自分の心を動かすかどうかは、誰にも分からない。

過去の自分が「読みたい」と思った気持ちと、今の自分が何を感じるか。

その変化を確かめられることも、積読の一つの価値ではないだろうか。

読めていない本は、かつての自分の興味や憧れ、好奇心を閉じ込めた一冊でもある。

その意味で、読めない積読にも意味はある。

私は積読を増やさない

積読は決して悪いものではない。

それでも、人は読みやすい本から手に取りやすく、難しい本ほど本棚に残りやすい。私も例外ではない。

だから私は、積読を責めるのではなく、自分なりの読書ルールを決めている。

結果的に、なるべく積読本を増やさないスタイルに落ち着いている。

買った本は買った順に読む

私の読書では、フィクション、ノンフィクション、自己啓発、科学啓蒙書など、ジャンルはあまり気にしない。

ただ、ライトノベルと哲学書、科学啓蒙書では、読み始めるまでの心理的なハードルが大きく異なる。

正直に言えば、気軽に読めるライトノベルへ手が伸びることも多い。

だから私は『本は購入した順に読む』というルールを決めている。

これは「どの本を読もうか迷う」という認知的負荷を避け、選択に迷わない仕組みにもなる。

クロ

選択肢を減らす読書法ニャ。

ただ購入日を細かく記録しているわけではなく、本棚の左から順に読むくらいの感覚だ。

それが私(の性質)にとって、一番迷わず読書を続けられる方法なのである。

積読本の上限を決めている

もう一つのルールは、積読本の上限を決めていることだ。

私の場合、その上限は30冊としている。

これは欲しい本を衝動的に買い続けないため、そして読める量を自分で把握しておくための目安である。

だから「30冊が正解」というよりも、色々と試行錯誤した結果、30冊が自分には合っていたのだ。

積読本のタイトルや、事前に知ることができる内容を把握できる上限が30冊なのである。

このルールを決める前は、積読本が200冊を超えたことがある。

私の場合、本棚に並ぶ未読本が増えすぎると「これを読めるのはまだ当分先か」と考える時間も増える。

本を買ったときの期待や旬も少しずつ薄れてしまう。

もちろん、30冊の小説と30冊の哲学書・科学啓蒙書では、読み切るまでに必要な時間はまったく異なる。

だから難しい本が増えてきたと感じたら、しばらく本屋へ行く回数を減らす。(電子書籍の通販含む)

クロ

冊数の多いシリーズ本はどうするか未だに悩んでいるニャ。

本棚は日記にもなる

本棚を他者に見せたくない、という人は多い。

それは、本棚には自分の興味や価値観が反映されていると考えるからかもしれない。

ときには「どんな人間になりたいか」まで映してしまうことを知っているからかもしれない。

「知りたい自分」がいるから本を買う

読みたいと思う本は、そのときの自分を映す鏡でもある。

本棚には、その人の興味や価値観、知りたいことが自然と並んでいる。

それは積読本でも変わらない。

まだ読んでいなくても、「この本を読みたい」と思った事実は、その時点の自分を確かに映している。

一冊一冊は、そのときの自分が「知りたい」「変わりたい」「楽しみたい」と思った痕跡でもある。

だから本棚は、今の自分を映す鏡であると同時に、過去の自分の感情を記録した日記にもなっていく。

未読本も既読本も人生を映す本棚

買ったものの、難しくてまだ読めていない本。

しかし未読本も既読本も、どちらも「読みたい」という気持ちから始まったことに変わりはない。

どちらに優劣もない。

もし積読に罪悪感を抱いているのなら、その気持ちは少し手放してもいいのではないだろうか。

なぜなら、日記に優劣はないからだ。

大切なのは、その日記をどう読み返し、これからどんな続きを書いていくかではないだろうか。

私のようにルールを決めて読む人がいてもいい。積読が気にならないなら、そのまま本棚を育てていくのもいい。

読書は競争ではない。

本棚には、読み終えた本だけでなく、読みたいと願った自分も積み重なっている。

その一冊一冊が、あなたの人生を描く日記になるのだろう。

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