「正しいお金の使い方とは、なにか」
将来を見越した使い方なら、投資。
生活に必要なものを買うなら、必要な消費。
「どの程度貯金をするか」「日用品はまとめ買いをするか」など、お金の使い方には人それぞれの考え方がある。
では、投資でも生活に必要な消費でもないものに、「欲しい」という感情を抱いたときはどうだろうか。
他者が持っていて羨ましいから。必要だと感じたから。満足感が得られそうだから。
私たちは、その「欲しい」という感情に、素直に従ってもいいのだろうか?
人が何かを決めるとき、まず直感的に判断し、その後から理由を考えて自分の選択を正当化することがある。
たとえば「これは○○で絶対に必要なものなんだ」と考え、何かを購入した場合でも、
実は「欲しい」という感情が先にあり、後から理由を付けている可能性(自己正当化)がある。
そもそも、理屈より先に生まれる「欲しい」という感情は、どこからやってくるのだろうか。
この記事では、私たちが抱く「欲しい」という感情を手がかりに、お金の使い方について考えていきたい。
目次
なぜ私たちは「欲しい」と思うのか
心理学や経済学では、人が何かを「欲しい」と感じる理由について、さまざまな考え方が存在する。
以前の記事では、進化論を中心に、「欲望の正体」と「現代社会」の関係について考察した。
あわせて読みたい
なぜ私たちは欲しくなるのか|進化から見る比較と消費社会
先日、仕事の研修で某ビジネスホテルに泊まったとき、テレビから流れてきたCMのある一言が妙に耳に残った。 「商品を売るなら、ビジネスパーソンがリラックスしているホ…
今回の記事では、それも含めたもっとミクロな視点。すなわち、私たちはどのようにお金を使えばいいのか。
より実践的で、個人的な問題に焦点をあてて考えていきたい。
有閑階級の三つの概念
まず、欲望について考えるのに参考にしたいのが、19世紀の経済学者ソースティン・ウェブレンである。
彼は著書『有閑階級の理論』のなかで、富や社会的地位を示すための消費や、他者との競争について論じている。
現代でも、マーケティングやビジネスの分野で引用されることの多い考え方である。
有閑階級の理論
顕示的消費:富や社会的地位を示すために、必要以上に高価な商品やサービスを消費すること。
顕示的閑暇:働かなくても生活できるほどの富や地位を、余暇の多さによって示すこと。
金銭的対抗:他者と比較しながら、経済的・社会的な地位を高めようとする競争や模倣のこと。
ここでいう「有閑階級」とは、生産活動から離れ、財産や余暇を通じて社会的地位を示す上流階級を指している。
貴族的な価値観を前提とした考え方なので、「現代の日本には当てはまらない」と感じるかもしれない。
しかし、必ずしもそうとは言い切れない。
現代ではインターネットやSNSの普及によって、「金銭的対抗」のハードルが大きく下がっているからだ。
SNSでは、自分が購入した高価な商品や、充実した生活の様子を簡単に他者へ見せることができる。
たとえば、ずっと欲しかった商品を手に入れたとき、その写真をSNSに投稿する。
あるいは企業が、「自社の製品は類似製品と比べて○○が優れている」とアピールする。
どちらも「商品そのものの価値」を伝えているに加えて、自分や自分の持つものの価値を他者に示している。
そういった写真に「いいね」がつくと誰でも嬉しくなるニャ。
こうした「他者との比較」は、私たちの「欲しい」という感情にも影響を与えている可能性がある。
他人との比較が生む消費
「みんなが持っているから」「流行しているから」という理由で、自分も欲しくなることがある。
こうした心理は、バンドワゴン効果として知られている。
バンドワゴン効果
ある商品やサービスを選ぶ人が多いほど、それを魅力的に感じ、自分も選びたくなる心理。
商品だけでなく、さまざまな選択や流行にも当てはまる。
「バンドワゴン」とは、パレードや行列の先頭を進む、音楽隊を乗せたとても目立つ馬車のことだ。
たとえば、書籍の帯に「10万部突破」「誰もが読んでいる」と書かれていたら、読んでみたくなる。
通販でも、レビュー数が多く、高評価の商品を選んでしまうことがある。
これは、周囲と同じ選択をすることの安心感や、流行に乗り遅れたくないという心理が関係していると考えられる。
また「周囲と同じ選択をしたくない」という、いわゆる「逆張り」のような心理をスノップ効果という。
つまり、「欲しい」という感情は、必ずしも自分の内側から生まれるとは限らない。
調和を求める心理
満足していたはずなのに、一つの「高級品」を手に入れたことで、別のものまで欲しくなった経験はないだろうか。
パソコンのキーボードを買い換えたら、マウスやディスプレイも「より良い製品」にしたくなる。
ダンベルを買ったら、バーベルやトレーニングベンチ、パワーラックまで欲しくなる。
ブランドのバッグを買ったら、洋服や財布もブランド品で揃えたくなる。
こうした、一つの商品をきっかけに、周囲のものまで買い替えたくなる心理は「ディドロ効果」と呼ばれている。
ディドロ効果
一つの商品を手に入れたことで、それまで持っていたものとの不調和を感じる現象。
人類学者グラント・マクラッケンが、18世紀の思想家ドゥニ・ディドロの逸話をもとに提唱した概念。
名前の由来となったのが、ディドロが1769年に書いたエッセイ「Regrets on Parting with My Old Dressing Gown」である。
美しいガウンを手に入れたディドロは、使っていた家具や調度品との不釣り合いを意識するようになる。
それに我慢できず、次々と買い替えていき、借金に苦しだ経験があるとのこと。
ひとつの「良いもの」が、それまで気にならなかった周囲のものの価値を、相対的に下げてしまう。
「一つだけ良いものを買う」が、いつの間にか「周りも揃えなければ」という消費につながる。
これは厳密な法則というより、アイデンティティや所有物の「調和」を考えるための概念に近いかもしれない。
人は身の回りのものを一つのまとまりとして捉え、そこに統一感を求めることがある。
だから「これを買ったなら、あれも揃えたい」という新たな欲望まで生み出してしまう。
マーケティングにおいても「自社のブランドで揃えさせる戦略」として組み込みやすく、罠に陥りやすい。
「便利だから揃える」といった理屈よりも、ディドロ効果の方が先にある可能性は十分にあり得る。
比較ゲームと欲求のジレンマ
ここまでの内容を、「欲しい」という感情に結び付けて簡潔にまとめると、次のようになる。
有閑階級の理論:他者との比較を通じて、富や社会的地位を示そうとする
バンドワゴン効果:多くの人が選んでいるものを、自分も選びたくなる
ディドロ効果:一つの商品の「質」に合わせて、周囲のものも揃えたくなる
これらは別々の概念であり、「人の持つ欲求」を別の視点から捉えたものである。
ここでは「欲しい」という感情を考えるための視点として、あえて並べている。
注目すべき点の一つは、有閑階級の理論とバンドワゴン効果が、他者との比較と深く関係していることだ。
一方で、ディドロ効果は「物を比較」することで成立している。
際限なく膨れ上がる比較
このブログでも繰り返し書いているように、「比較ゲーム」には終わりがない。
いくらお金持ちになろうが、上には上がいる。
自分より優れた技術を持つ人を見れば、嫉妬することもある。
上を目指せば目指すほど、競争の相手も増えていく。
もちろん悪いことばかりではなく、他者との比較が向上心につながることもある。
だが「他者よりも優位に立ちたいからやる」ようになると、満足するための基準は自分の外側に置かれてしまう。
「自分はどこまでやりたいか」ではなく、「あの人より上に行けるか」が基準になる。
そして、他者との比較には、どうしても自分ではコントロールできない要素が含まれる。
遺伝的な才能や身体的な特徴、育ってきた環境、生れついた我慢強さ。
いくら努力しても、他者との差が思うように縮まらないことはある。
それでも「もっと上に行かなければ」という欲求が強くなれば、現実との間に大きなギャップが生まれる。
そのギャップを埋めようとして、ときにはルールを破ったり、無理な手段に頼ったりすることもある。
比較と欲求のギャップ
スポーツにおけるドーピングや、禁止薬物の使用
テストのカンニング、高級品の購入と借金の併用など
では、他者との比較ではなく、自分自身のために努力するのであれば問題ないのだろうか。
「他者ではなく、過去の自分と比較しよう」と、自己啓発本では語られることもある。
残念ながら、必ずしもそうとは限らない。
たとえば筋トレでも、「もっと筋肉をつけたい」という欲求が際限なく膨らめばどうなるか。
そうした欲求を優先するあまり、アナボリック・ステロイドなどに手を出してしまう人もいるだろう。
ベンチプレスで重量を更新しようと無理をすれば、下手すれば、たった一度で体を壊す可能性もある。
欲求がどこから生まれたものであっても、それが際限なく膨らめば、自分自身を苦しめることがある。
だからこそ、ときには「もっと欲しい」という気持ちそのものから、一歩離れてみる必要がある。
このように考えると、問題は「外的な欲求だから悪い」「内的な欲求だから良い」という話ではないのだ。
今と「まだ見ぬ未来」との比較
「欲しくて欲しくて、お金を貯めてついに買うことができたのに、なんかしっくりこない」
こういった経験は、誰にでも一度くらいあるのではないだろうか。
思っていたのと違う
手に入れたら、何も感じなくなった
もっと「良い物」を買えばよかった
欲しいものを手に入れる前は、「これさえ手に入れば、きっと今より満足できる」と考えてしまう。
ところが、実際に手に入れてみると、期待していたほどの満足感が得られないことがある。
心理学や神経科学では、「報酬が得られる」という期待が、私たちの行動を強く動機づけることが知られている。
これは進化的に考えても不思議ではない。
もし一度何かを手に入れ、それだけで満足して二度と行動しなくなるのであれば、
生き物は次の食料や安全な環境を求めなくなってしまう。
だからこそ私たちは、「今よりも良い状態」を想像し、そこへ向かおうとする。
「これを手に入れれば、今よりもっと良くなるかもしれない」
しかし、ここには一つの落とし穴がある。
まだ存在していない「理想の未来」と、現在の自分を比較してしまうことだ。
「その未来では、もっと快適になっている。もっと便利になっている。もっと満足しているはずだ」
そう期待してお金を払ったとしても、実際に手に入るのは、想像していた未来そのものではない。
払ったお金と、実際に得られた満足感が比例しないと、「思っていたほどではなかった」と感じてしまう。
しかしよくよく考えてみると、それは「使っていたものより多少なりとも良い物」のはずではないだろうか?
品質を点数にできるなら、合計点数は上がっているはずニャ。
そこで終わればいいのだが、今度は「良い物を揃えたなら、もっと満足できるのではないか」と考えてしまう。
一つの「良い物」を手に入れることで、周囲のものまで気になり始める。
すると、今度は「こちらも買い替えれば、もっと理想に近づける」と考えてしまう。
「今より良くなりたい」という欲求は、満足を生むだけでなく、次の欲求を生み出すこともある。
現代は、物やサービスがあふれている。
そしてマーケティングでは、「これを手に入れれば、今よりもっと快適になれる」という未来を想像させる。
しかし、100点満点の満足が約束された未来が、商品を買うだけでやってくる可能性は低い。
だからこそ、「今この瞬間」の自分にとって、本当に必要なものなのかを考える必要があるのではないか。
「今の自分」のための消費
人の欲求は、複雑である。
ここまでいくつかの考え方を紹介してきたが、これだけで「こうすれば正しい」と言い切ることはできない。
私自身も専門家ではない。
それでも、ここまで考えてきたことを踏まえて、「欲しい」という感情と、私たちはどう付き合えばいいのか。
ここからは、私なりに考えてみたい。
欲求アルゴリズムをコントロールする
最初の提案は、自分の欲求をいったん解体してみることである。
なぜ欲しいのか?
手に入れて、どうしたいのか?
自分は、なにを望んでいるのか?
これらは使い古された問いかもしれない。そこで、私はもう一歩踏み込みたい。
そもそも、なぜ「欲しく」なるのか。
「それの存在を知ったから」ではないだろうか。
たとえば、これまで存在すら知らなかった商品を知る。
すると、それまで何も感じていなかったものが、急に「欲しいもの」へと変わることがある。
自分より快適な暮らしをしている人をSNSで見る。
「こんな便利なものがある」「こんな生活ができる」と知る。
ディドロの逸話も、その一例として考えられる。
美しいガウンを手に入れたことで、それまで気にならなかった家具や調度品との不釣り合いを意識するようになる。
新しいものを知ったり、手に入れたりすることで、それまで存在しなかった「気になるもの」が生まれる。
私はこれを、便宜的に「欲求アルゴリズム」と呼びたい。
アルゴリズムが起動すると「もっと良いものはないか」「これも必要なのではないか」と、次の欲求が生まれてくる。
そもそも欲求そのものを完全にコントロールすることは難しいし、それができたとしても、ストレスになる。
だから欲求が生まれてから抑え込むのではなく、欲求を刺激する情報との距離を考えることも、一つの方法になる。
「知らないことは幸福である」とよく言われるが、私はこの言葉には一理あると思う。
美しい、羨ましい、便利、かっこいい、機能的。
こうした感覚は、外から与えられた情報をきっかけに生まれることがある。
だからこそ、自分の欲求を必要以上に刺激しないためには、「見ない、知らない、仕入れない」という選択肢もある。
具体的には、情報デトックスや、現代であればデジタルデトックスもその一つだ。
あわせて読みたい
デジタルデトックスの本質|人は「情報」に支配されている
「デジタル機器の使い過ぎはよくない。脳疲労や眼精疲労、睡眠不足や運動不足に繋がるから」 だから使用は控えよう。——道理である。しかし、本当に問題はそこなのだろう…
本当に必要かを問い直す
そうはいっても、人間は「知りたくなる」生き物である。
暇なときにスマホに手が伸びるのは自然なことだし、入ってくる情報をすべて遮断するのも難しい。
私自身、このブログを書いているだけで、パソコンやデスク環境についてさまざまな情報を知ることになる。
だからこそ、情報を完全に避けるのではなく、「欲しい」と思った瞬間に、自問自答してみることをお勧めしたい。
ポイントは、他者との比較や「もっと良くなった未来」を脇に置いて、今の自分に本当に必要なのかを考えることだ。
私の欲望
デスクを大きなものに変えたら便利になる。
良いスピーカーを導入したら、趣味がもっと楽しくなるはず。
大きくて高画質のディスプレイに買い換えたら、生活の質が上がるかもしれない。
しかし、よく考えてみる。
デスク上にはなるべく物を置かないようにしているため、デスクは今の大きさでも困っていない。
スピーカーの音質を追求したいわけでもないので、今のままでも十分である。
むしろデスクやスピーカーを買い換えることで新たに問題が発生する可能性もある。
すなわち、デスクに調和させるアイテムがさらに欲しくならないだろうか?
大きなディスプレイに買い換えれば作業領域は広がるが、それによって本当に生活の質が大きく変わるのだろうか。
このように一つずつ考えていくと、「欲しい」と「必要」は、必ずしも同じではないことに気づく。
考えた上で、それでも欲しいのならば買ってしまってもいいかもしれない。過剰な我慢はストレスになる。
重要だと思うのは、「欲しいから買う」のではなく、自分がなぜ欲しいのかを理解したうえで買うこと。
そして、買ったあとに「もっと良いものがある」と次の情報を仕入れ続けないこと。
欲望を完全になくすのではなく、欲望に次の欲望を生ませない。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉がある。
欲しいものをすべて我慢する必要はないし、知ってしまったものは仕方がない。
自分にとって必要なのかを考え、それでも欲しいなら買う。
そして、また次の「もっと良いもの」を探し続けない。
動き始めた車輪を、素手で掴んで止めるのは難しい。だから自然に止まるのを待ち、後は車輪を動かさない。
正しいお金の使い方
正しいお金の使い方は、千差万別である。
しかし、「欲しい」という感情に対してお金を使うときは、少し慎重になってもいいと、私は思う。
なぜ欲しいのか。それを手に入れて、どうしたいのか。
他者との比較や、まだ見ぬ未来に惑わされていないかを考えたうえで、それでも欲しいのであれば、買えばいい。
他人より良く見せるためではなく、自分の人生をより良くするためにお金を使う。
それが、私が考える「正しいお金の使い方」の一つである。
免責事項
本記事は、各種データや心理学・社会的な視点をもとに、筆者個人の見解として考察をまとめたものです。
取り上げたテーマには、多角的な議論やさまざまな価値観、立場が存在します。
また、記事の内容は、お金の使い方における客観的な正解や絶対的な基準を保証するものではありません。
あくまで物事を考える上での一つの視点として、ご自身の価値観や状況を大切にしながらお読みください。
参考文献
【有閑階級の理論 増補新訂版】
ソースティン・ヴェブレン(著)高 哲男(訳)講談社:2015年
【社会はなぜ左と右にわかれるのか 対立を超えるための道徳心理学】
ジョナサン・ハイト(著)高橋 洋(訳)紀伊國屋書店:2014年
【ドーパミン中毒】
アンナ・レンブケ(著)恩蔵絢子(訳)新潮社:2022年
『ディドロ効果』については、Diderot effect Wikipediaを参考
コメント